イルリキウムです。
私は、年が切り替わるからといって、別段それを意識せずに過ごしたい性質である。
しかし、社会は年末年始モードになってしまう。特別セールで混雑する店。割増料金になるカラオケ。休業する公営施設。エトセトラ。
否が応でもそれにアジャストしなくてはいけない、仕方のないことだ。
年末の企画としては、【我が家の10大ニュース】やら【今年の流行10選】やらも頻繁に見かける。
中でも、私の心を躍らせるのは【2018年楽曲10選】などと謳った楽曲紹介の記事である。
「それそれ!」と共感するもよし、「なんだこの曲めっちゃ良い……」と新たな世界を発掘するもよしだが、年の区切れに見ることで、「この曲今年の1月だったのか」などと、白駒の隙を過ぐるがごとき時の流れを痛感することが出来るのもよい。光陰リニアモーターカーのごとし。
楽曲好きオタクを名乗っている以上は、この企画に乗らないのは罪だとすら感じられた。せっかくブログを開設したのだし。
という訳で、2018年初出の楽曲の中から、特に印象に残った作品を5曲紹介しよう。
イルリキウム的【この曲で一年を締めよう2018】。
リリース順である。
・目覚めの岸辺/やなぎなぎ
作詞:やなぎなぎ
作編曲:rionos
2018年1月17日発売のアルバム「ナッテ」に収録。
rionos氏の、輪郭がぼやけたような雰囲気作りに惹きつけられた。悠遠で渺漠。ジャズドラマーとマリンビストの両親を持つというバックグラウンドを知ると納得である。「ハシタイロ」(『クジラの子らは砂上に歌う』ED)も聴こう。
鋭い音選びが多い本アルバムにあって、ベース・ドラムを生音で収録しており、ヴォーカルも息やや増量。柔らかさが意識されている。
曲の話。
BメロでEMaj→GMajに転調し、サビで戻ってくる、短三度の穏やかな転調。
特に後者のGMaj→EMajでは、キラキラした音色での1小節が丁寧に挟まる。GのドミナントにあたるDから、最高音がトニックの半音上である♯ソ(=Eの3rd)に滑り込んでくる。あまりにソフトな着地に夢見心地。
さて、サビの最終部で調はマイナーに動く。EminはGMajと同じく♯1つ、すなわち平行調だ。したがって空気感を変えない。
そして現れる、1番サビ終わりの〈砂の底〉が、天才的である。
ベースとヴォーカル+コーラスだけを抽出した譜面をご覧いただきたい(譜1)。
ベースに注目。
まずラが鳴る。「次は完全五度下のレに動いて、主音のミに帰ってくるかな?」と思っていると、ファが鳴る。
「ファ(♭Ⅱ)!?」と驚くも気を取り直して、「さすがに次はミだろ~」と思っていると、レが鳴る。
そしてようやく、次の小節の1拍目にミが鳴り、コードは長調へと回帰する。ようやくだ。
これが、何だか、楽しい一日の終わりに帰るのを渋っている子を見ているようで可愛い。
メロディは、ベースより1拍前にEへと戻ってきている。このズレこそが、広々とした空間をイメージさせる所以だろう。
レの1拍を切って、この小節を3拍にする選択もある(譜2)ように思うが、これは好みだろうか。私は3拍子を選んでしまうかもしれない。むしろ、主音の両隣にあるファとレを双方入れるという発想に至らない。スゴい。
ハモりを一緒に聴くと、〈なー〉の伸ばしと、その次の〈の〉で重音の構造が変わっていることに気付く。
〈の〉も【ド・ミ】のままで全く問題ないはずだ。ここのコードはF△7で、5thと7thに相当するのだから。
だが、ハモメロは敢えての【シ】。
これは……♯11th……!
一段と複雑な、しかし透明感のある、不思議なコーラスワークになっている。
メロディそのものは、スケールの1st, 3rd, 5thのみをなぞっているシンプルなもの。
それが、コードとリズムの組み合わせでこれほど鮮やかに響くとは、rionos恐るべしである。
歌詞にも触れておきたい。
音楽ナタリーのインタヴュー記事にこのようなやりとりがあった。
――(略)「目覚めの岸辺」の小瓶は、その受け手が想定されていない。あるいは「誰にも届かなくてもいいか」くらいのテンションですよね。
そうですね。届かなくても、この星の一部になって何百年も漂っていられたらいいやっていう。
――それなのに「また明日も星の砂集めて ガラスの小瓶で空の海に送り出そう」と歌っています。この星の砂がやなぎさんの音楽の比喩だとしたら……。
ふふふ(笑)。その気持ちはありますよね。結局、私の曲ってうまく言葉にできないこととか「わかってもらえなくてもまあいいかな」って思っているようなことが音楽という形をとって出てきているようなものなので。
やなぎなぎ「ナッテ」インタビュー|宝物を1つのアルバムに綯う (4/4) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
鋭い。鋭い指摘である。
反応からは、端からその意図があったのかどうか、窺い知ることが出来ない。
彼女がここまで考えてこの詞を書いたのか真偽はさておき、〈なんてことない土塊になれたらいい〉というのは、果たして(この詞の主人公が抱く)本心なのだろうか?
どうもそうは思えない。
主語を〈乾いた岸辺〉にすり替えて、〈目覚めの波を待ち望〉んでいる自分の想いを代弁させているのではないか。
流れ着いた星の砂が〈微睡の熱〉を覚えているのは、誰かに見つけられる兆しを感知しているからではないか。
そうでなければ、〈また明日も〉なんて言えない。
〈消えてゆくため〉に出発するというのは、愛しい強がりだ。
・好きなものは好き!/鈴木みのり
作詞:西直紀
作編曲:コモリタミノル
2018年1月24日発売のデビューシングル「FEELING AROUND」に収録。
表題曲は『ラーメン大好き小泉さん』の主題歌で、フレデリックの三原康司が作詞作曲を担当した。当然のように今年のアニサマでも披露されており、キャッチーでノリの良い楽曲である。
しかし、ノリの良さで言ったらこのカップリング曲も負けていない!
コモリタミノル氏と西直紀氏といえば、「ルンがピカッと光ったら」などを手掛けたコンビ。
『マクロスΔ』で鈴木みのりの声質、癖を把握しているだけあって、彼女の魅力を存分に引き出している。
〈ドキュン ズキュン バキュン〉〈愛してるバババンバン〉。
字で見ると何のこっちゃだが、声が乗ると途端に伝わってくる。好きなものを目の前にしたウキウキ。
〈ダメなものはダメ! 絶対!〉と、論理の通用しなさを全面に押し出してくる。でも、その感情は絶対的に正解なのだ。裏付けされていなくても、「好き」という感情は強い。
〈何もかも夢でも〉は注目ポイント。一音毎に[m]が入り、リズムの楽しさを増幅させている(譜3)。両唇音の中でも柔らかい、鼻音であるが故に、ふわっとホップしているイメージなのだ。
それに続く〈ゴールなんかなくても〉と併せて、力強く「好き」を訴えかける。
「好き」に目標や取引といった余計なしがらみは無用なのだ。
ところで「ずっきゅん」とは、最近また耳にするようになった言葉である。
乃木坂46の秋元真夏が必殺技として使うようだが、私が想起するのは相対性理論の「LOVEずっきゅん」だ。いつ頃からある言葉なのだろう。
どうしても、インパクトの点で「スーパーウルトラハイパーミラクルロマンチック」(『VALKYRIE DRIVE -MERMAID-』)も思い出されてしまう……。烏屋茶房氏、罪深いぞ。
曲について。
正直言うと、吉田美和が歌いそうな曲、というイメージが未だに拭い去れていない。恐らくそれは、「うれしい!たのしい!大好き!」との類似性によるものだ。
短調+ブラスの多幸感、ボンゴがポコポコ、好きを連発する感情マシンガン。似ている。
強いて比較するなら、もし吉田が歌った場合、「人生辛いことも色々あるけど、今は楽しく歌おうよ!」といった逆説的な意味合いが感じられてくるだろう。大人の味である。
一方、みのりんごにそんな要素は無い。単純に明るい。突き抜けて前向き。
どちらもそれぞれの良さがある。
余談だが、ワルキューレLIVE2018の映像で歌うみのりんごを見て感涙してしまった。
意気揚々とダブルアンコールに登場し、こんなパフォーマンスをされたら、私は「うぉーう、うぉー!」と叫びながら泣くしかない。
堂々。安定。喉が開いていて、低音に芯がある。業界はすごい才能を発掘したものだ。
・スキノスキル/Wake Up, Girls!
2018年2月28日発売のシングル「スキノスキル」に収録。
この曲に紐付いたアーティスト全員に対して、私の「好きが過ぎて」おり、曲のみを純粋に評価することはもはや不可能である。
ひとまず、私が以前書いたレビューを見返しておこう。
(なお、この楽曲レビューが生まれた経緯については以下記事を参照いただきたい。)
付け加えるならば、WUGのHOMEツアーPartⅡにて、この曲が聴けたことを神に感謝したい。あまりに待望で、ひたすら念願だった。
しかし、岩手では推しが理想郷・イーハトーヴに連れて行ってくれた感動に圧され、横須賀ではFINAL SSAという天地鳴動の発表があったがために、「スキノスキル」への感謝が薄れてしまったのは否めない。
ごめんね「スキノスキル」。君のこと忘れてないぞ。
※このテンポの6/8拍子を使えるようになりたくて、仲間内で花やしきに遊びに行く際に書いたテーマソングで試してみることにした。それがこの曲である↓
・逆光/坂本真綾
作詞:坂本真綾
作曲:伊澤一葉
編曲:伊澤一葉、江口亮
ストリングスアレンジ:伊澤一葉、江口亮、石塚徹
2018年7月25日発売のシングル「逆光」に収録(1月31日よりANiUTaで先行配信)。
そもそもコンテンツとして力を持つFateシリーズと、坂本真綾+伊澤一葉とあっては、話題にならない訳が無い。それにしても半年も前にフル尺で配信するなんて……。
Fateには詳しくないのだが、やけに話題になっていたので(のちにその日が発売日だったことを知る)、iTunesで購入しようと思い立ったのであった。
そして、楽曲の魅力にずっきゅんと撃ち抜かれた私は、興奮のままにこんなツイートをする。
・逆光/坂本真綾
— イルリキウム/43Tc (@I_verum43) July 25, 2018
ぶっ刺さりました。狭い動きと広い跳躍を思い切り使った、わっち(伊澤一葉氏)圧巻のメロディライン。サビ前のHMP↓5を用いたドミナントモーションにウキウキ。サビは半音のベースラインが最高。ラスサビの転調も絶品(画像参照)! 真綾さんの表現力も!https://t.co/I1TLlFEIbx pic.twitter.com/dRq2200gGw
このときは盛り込めなかったのだが、私のツボを射抜いた箇所はまだまだある。
・Bメロ、裏で左右に動き続けるエレキギター。エフェクトガン決まり。
・サビに入るきっかけのオクターヴ強打。弦を直接ぶん殴ったようなエグい音だ。
・2番は、フレージングが随所で変わる。わっちが顔を前に向けずにピアノを叩いている様子が目に浮かぶ。
・2番サビ前、ビープ音が入ってくる(他にも聞こえる箇所はあるが、一番目立つのはこの部分だ)。何とクールなことか。
曲に関しては、何につけても、伊澤一葉らしさ。緊張を保ちつつ走り抜ける爽快さ。これに尽きる。格好いい。
歌詞について、Fateシリーズの知識に暗い私の領分ではないので、ここはシンプルな感想に留めおきたい。
〈遠雷〉という言葉遣いには驚いた。日常的には馴染みの薄い熟語で、恐らく多くの人が「おっ」と感じたのではないだろうか。
念入りに聴くと、〈それは〉から発音が流れないように、気を遣って〈え〉と発声しているのが分かる。
ここは、〈遠雷〉以外の言葉ではいけない何かしらの理由があったのだろう。
しっかしまあ、真綾さんの表現力には感嘆の一言である。
幼稚園児の頃に聴いた「プラチナ」。画面のさくらが、歌声に彩られて一層と輝いて見えた。
小学生の頃に聴いた「ループ」。異性への恋心など十分理解していなかったはずなのに、鳥肌を抑えられなかった。
大学に入り間もなく聴いた「はじまりの海」。幼馴染との思い出が蘇り、実家通いにも関わらず郷愁に襲われた。
そして「Be mine!」。髪を振り乱すような、知らない真綾さんの一面を見て、どこへともなく自慢したくなった。
もちろん「CLEAR」も名曲だ。神。
・少年の見た夢は/TWEEDEES
作詞:沖井礼二、清浦夏実
作曲:沖井礼二
2018年10月31日発売のアルバム「DELICIOUS.」に収録。
沖井礼二氏が、「今、この時代に18歳の沖井礼二が生きていたとして、彼が聴きたいものを作った」と言い放った、渾身の全力投球フルアルバム。
オタク特有の早口で、全曲、誰彼構わずにお勧めしまくりたいが、そんな中でも私が最も心を掴まれたのはTr.3の本楽曲である。
「これはビートルズだ」。
聴き始めてすぐ、脳内のビッグ・ベンが打ち鳴らされた。ウエストミンスター・クオーターズ。
曲はスネアの6連符をきっかけにビートを早める。それと同時に、私の精神もイギリスの煉瓦街へすっ飛ぶ。
ブリティッシュ趣味の2人が、あーだこーだ言って作り上げたに違いない歌詞も、大いに味わい深い。
〈It must be real/It could be true〉。
自分が見た景色だ。「間違いなく今見たことは現実」、「じゃあ今の景色は、本物?」。
この〈少年〉は、沖井さんを投影しているのだろうか。
Tr.3 少年の見た夢は
— イルリキウム/43Tc (@I_verum43) November 3, 2018
ハイ来た。私の一押し曲です。単に英国の某バンドの空気を感じるからってのもありますが。
私はまだそんな少年の頃を思い出すような年ではありませんが、無性に涙が出そう。FROGの歌詞にも涙なしには聴けないやつがたくさんありますが、その系統かも。#TWEEDEES
「清々しい」「爽やか」という意見も少なからず見掛けるのだが、私はどうしてもクリアな気持ちになれない。
様々な色の絵の具を溶かした水が、四方八方から徐々に心を侵蝕していく。
これは何だろう、と感じていたが、清浦さんのツイートを見て、いくらかその疑問が氷解していくのを感じた。
3. 少年の見た夢は
— 清浦夏実(TWEEDEES) (@kiyouranatsumi) November 3, 2018
ジョン・レノンとミック・ジャガーとリアムギャラガーをイタコしながら歌いました。TWEEDEESでいうと「祝福の鉄橋」とか「友達の歌」もそうだけど、男性特有の思春期の焦燥感や脆さ、友情や無鉄砲さに弱い自分がいます。#TWEEDEES#DELICIOUS
焦燥感。
そういうことかもしれない。清浦さんは、意識的にそれを声に乗せている。
これだからTWEEDEESファンはやめられないのだ。
「ポップスは若い人のためのもの」と語る沖井さんが、TWEEDEESの究極の形を「沖井礼二がいなくなる」と想像した。そんな時が来ても、もしかしたらそのときは私も若い人ではなくなっているかもしれないが、TWEEDEESを追い続けていきたい。
こうして振り返ってみると、2018年は名曲豊作、感動的な出会いの多い年だった。
まだまだ他にも、入選させたかった曲はあるのだが、「この記事に載せよう!」という我が意識のもとで選ばれたのだから、この5曲はそれぞれに、私を駆り立てる何かしらの引力を発揮していたのだろう。
そうそう。曲が繋いでくれた人との縁も忘れてはならない。
意味の無い楽曲は無いし、意義のない愛着も無い。
来年も、佳い出会いに恵まれますよう。
冒頭の宣言はどこへやら、すっかり「年末」の気分になってしまっているイルリキウムでした。