論理の感情武装

PDFに短し、画像ツイートに長し

VTuberというコンテンツとの距離感を測り続けている

イルリキウムです。

 

私の人生に、バーチャルYouTuber(以下、VTuber)を推すフェイズが訪れた。

一生来ない可能性もあったのだが、VTuber界隈と、私の趣味との接点は多すぎるほどあり、最も私の守備範囲Venn図全体に覆いかぶさっていたのは、おそらくVTuberというコンテンツだっただろう。

 

そんな私が、とあるVTuberのニコニコチャンネルプラス登録、pixivFANBOX支援、果てはメンバーシップ登録をするに至るまでの思考過程を、ここに簡単にまとめておくこととする。

 

これがVenn図

これまで私がVTuberにハマりきれなかった理由は大きく3点から成っていたように思う。

一つは可処分時間のコストVTuberさんは長時間配信を武器としている方が多いように見受けられ、与えられたコンテンツを片端から消化吸収したいバキュームコレクターの私は尻込みしていた。積読本が優に200冊を超え、積聴曲(つんぎききょく:そんな言葉は無い)が優に1000曲を超えるこの状況で、更に他のコンテンツに時間を割くためには、それこそ仕事を辞めて医師免許を持っているだけのフリーターにならなくてはならない。なにその人生。実家に帰れなくなってしまう。

一つはマチュア発声への違和感。長くアナウンスをやってきた身からすると、声を使って配信する以上はそれなりの発声とそれなりの機材を備えていらっしゃるのでしょう、という先入観がどうしても働いてしまう。もちろん、声優やアナウンサーの専門学校で集中的に勉強したことを感じさせる方もいた(中にはこれプロやな……という人も間々いる)が、放送的バックグラウンドの無い方が割と多い、玉石混淆の胡乱な業界に突っ込んでいく勇気は持てなかった。当時の私は声優ユニットを追いかけていたから、無意識下で対比させていたという要素もあっただろう。

一つは投げ銭文化。参入障壁が決して高くなく、フリーで活動を始めること自体は容易い業界である故に、収入を安定化させようと思うと投げ銭システムを利用しない手はない。そして、配信者が好きな視聴者は、少しでも配信者が笑顔になれるようにと、時には認知してほしいという下種な野心も込めて、投げ銭を送る。しかしこれ、価格が開示されるのがなかなかエグい。金銭のやり取りが露骨に発生していることを見せつけられて心がさざめいてしまうのは、私だけではなかろう。

 

現状の私はこれらを克服した。一部は誤解や食わず嫌いであったし、一部は自分の中で論理を構築し直した。自分の中に花開いた違和感は、私の"好き"に根を張り養分を吸い取り、みるみる脆弱にしていく。私は、その花をひとつひとつ摘み取っていかなければ"好き"に強度を持たせることができない、難儀な性格をしている。

 

VTuberの話題をブログに出すかは少し迷うところがあった。何せ、私は新参もいいところ、にわかにわか、にわかのしゅーりんがんである。これまでの当ブログ記事は、「倉橋ヨエコ」だったり「WUG」だったり「国旗」だったり、長期間触れてきたと自負できるコンテンツに対して、解説などを交えたものが多かった。紡いだ文章のテーマが詳しい分野であればこそ、読者に新鮮な知見を与えられる自信を持って、世に送り出せるというものだ。

しかし私は思い出した。

自分で「好きを語れよ」って言ったんじゃん。って。

i-verum43.hatenablog.com

 

というわけで、好きに責任を持たせていただくことにしよう。

これは解説でも布教でもなく、ただの「強化」だ。私の、私自身の好きに対する。

 

 

胎動期◆キズナアイ親分


youtu.be

2016年。「バーチャルYouTuber」を名乗ってYouTubeに飛び込んできた彼女のニュースは、末端ネットユーザーの私の耳にも飛び込んできた。

小6からニコニコ動画に浸かっていたせいか、YouTubeの空気感にはまだ溶け込めない一方で、ニコニコの雰囲気もRC2時代とは異なるものに変貌していた。そんな私の居場所は、主にTwitterに移ってきていた。ただしアカウントは持っていない。なんと、好きなアカウントをブックマークするという、デジタルに疎い課長クラスの上司が誤った方向性に頑張りました的スタンスを貫いていたのだ。今思うとヤバい。「アカウントなんか作ったら私のインモラルが暴走して悪口雑言の限りを尽くすからみんなに嫌われる」と思ったための措置だったが、アカウントだけ作ってツイートしなければいいだけの話だったではないか。Instagramはそうしているではないか。アホすぎる。

そんな情弱イルリキウムですらキャッチできたキズナアイさんのセンセーショナルさは強烈だった。ここから徐々に、のちに(なぜか5人いる)四天王と呼ばれるようになるVTuber諸氏を認知するに至る。

 

 

萌芽期◆輝夜月ネキ


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なんだこれは……???

 

YouTuberが多用するいわゆるジェットカット手法で余白が切り詰められ、何らかの人工的化学物質の力を借りなければ達成し得なそうなハイテンションが理解の速度を超えて叩き込まれる、「観るストゼロ」と評された彼女の動画は、私の興味を強くひいた。

なんだかんだで大学の専門科目が忙しくなっていた私にとって、短時間でトリップできる彼女の動画はありがたかった。

 

なるほど、VTuberという形態は、モーションキャプチャなどの技術革新の波に乗って、「ボーカロイドに喋らせるより即時性があり」「顔出しで喋るよりプライバシーを護れ」「社会的アイデンティティに束縛されず」活動ができる便利さがあるんだな、と納得していた。

 

 

発展期◆ばあちゃる


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彼のデビュー自体は輝夜月より早いものの、私が彼の所属する.LIVEを認知したのは2018年に入ってからだった。

なにしろ、馬である。

VTuberの可塑性の高さを思い知らされた。何しろ、馬である……から……。

 

しかしながら、この頃からVTuberに括られる配信者は指数関数的に増加しはじめ、到底全容を把握できなくなってくる。

 

 

停滞期◆にじさんじとホロライブの台頭


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月ノ美兎委員長をはじめとするにじさんじの1期生は2018年2月にデビュー、ホロライブ1期生が2018年5月に募集を開始し5-6月にデビューした。

私はこのころ大学6年生。病院実習&国家試験勉強と、更に解散が決まっていたWake Up, Girls!に全てをつぎ込む二足のスニーカー生活を送っていた。

必然的に他のコンテンツに足を伸ばす余裕が無かったのである。

 

大学を卒業して同時にWUGが解散する。なおも私は、導入部で述べた違和感3点セットに強烈に苛まれていた。

麻雀プロと交流があった夜桜たまさんや楠栞桜さん、サントリー公式の燦鳥ノムさんなどなど、名前だけなら知っているVTuberが増えていく。しかしその多くが「好きな作曲家が楽曲を提供している」という理由であり、曲こそ聴けど動画は観ていない、そんな不義理な状態が長らく続いた。

この頃私は、「VTuberは~~……詳しくないんだよなァ~~~」とお茶を濁しまくっていたと記憶している。

 

 

爆発◆壱百満天原サロメ


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彼女の登場は、多くの"VTuber馴染み無い勢"をVTuberの土俵に放り込んだ。私もそのうちの一人である。時は既に2022年も半ばとなっていた。

このころの私は、小児科外来にも慣れ、多少なり勉強しながら仕事を進める余裕が出てきていた。一人暮らしスタイルも確立し、時間をサロメ嬢の配信に回せたのが大きかった。

 

彼女のトークスキルと発声の澱みなさには心底驚いた。今のVTuberってこうなってるのかと。考えれば、VTuberを多数擁する事務所が、初めてソロでデビューさせているなどの話題性を持っていたのだからハイスペックなのは当然と言えば当然かもしれないがしかし……しかも話を聞くにつけ、このお嬢様、イデオロギーがしっかりしており各方面へ思慮深いことが分かる……すげぇ……。

彼女のおかげで私は、VTuberに対する邪推評価を改めることとなる。

まずは同事務所のにじさんじメンバーを追う。すると、20分前後の企画動画や、公式の切り抜きなども多いことに気づいた。数時間の生配信ばかりではなかったのだ。

そして、各々のキャラクタ性に裏打ちされた、アクの強いトークに惹きつけられた。周央サンゴさんやジョー・力一さんなどは、特に頭の回転が速いと考える。仲間内でゲラゲラやっているのとは違う。語彙と知識と表現力、これらを引き出す瞬発力が図抜けている。ANNやっててもおかしくない。

youtu.be

 

トーク内容そのもので私が愛してやまないのが、鈴鹿詩子お姉さんである。ボーイズラブに精通する彼女は、界隈のセンシティヴ用語を乱発することを厭わない。しかし下品に笑うことはしない。そのアカデミック感と落ち着いた声のトーンに反して、清楚なお姿を興奮に震わせている様子に、私は常に骨抜きにされている。

youtu.be

 

 

こうして私は、「素人感」と「配信の長さ」という2点が勘違いであることを知った。

それと同時に、「今自分が認識しているキャラクタは実はただの素人で普通に生活をしている通常YouTuberと変わりない存在である」「長い配信でも内容が面白くコンテンツ力が高ければ可処分時間の割り当て優先順位が上がる」と認識できるようになった。勘違いの矯正と同時に、認知の克服までもなし得たのだ。

 

 

最盛期◆あおぎり高校・山黒音玄さん


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あおぎり高校の存在は、母体がどうのこうのなったときに認識はしていた。こういうどうのこうのが起こりやすい環境であることを、聊か残念に思ったものである。それから私は、彼らのことを忘れてしまっていた。

 

彼らは代表を変え、shorts動画によるスタイルを確立して帰ってきた。いや、帰ってきたのではなく、ずっと殴り込みをかけ続けていたのだ。その体当たりが、彼らの周囲にあった壁を壊し、周囲と融和させ、そして多くのリスナーの支持を得るようになったのだった。

私があおぎり高校およびメンバーのチャンネル登録をしたのはついひと月前で、彼らを取り巻く苦難についてはこの1ヶ月でレトロスペクティブに知識を得たのみである。この期間彼らを支えたファンには頭が下がる思いだ。

彼らはやりたい放題やっているが、通底している人間力があり、それが見え隠れする。そこがたまらない。実写配信などVTuberがやっていいのか。そんな疑問を力づくで押さえ付けてくる。VTuberの生活と、我々人間の生活とは、地続きだ。VTuberは実在する。そこに他人事ではない物語を感じ取らされる。ある種、侵略的な彼らの生き様に、私は共感を覚えたのだった。

現運営(あおぎり高校職員室)は、ファンに呼びかける。

「ワンコインの支援でもとても助かっています」

「多額の支援は生活に余裕があるときにしてくださいね」

ファンを大切にする姿勢は、運営とメンバーで方向性を同一にしているように感じられた。これは、私の投げ銭文化に対する態度を軟化させた。こちら側で非表示にすればいいだけのことで、スパチャ読みも声を聴けると思えば悪いものではない。

 

そんな中で、私はメンバーのひとりである山黒音玄さんに強く惹きつけられた。

ASMR視聴歴9年の私は、一部のあおぎりメンバーがASMR配信を行ってくれることにも尋常ならざる魅力を感じていた。音玄さんはそのASMR組のひとりだった。

チャンネル登録をして動画を観漁っていると、ふわふわした舌足らずな口調で夢見心地の癒しを与えてくれる空気感を纏っていながら、周囲のおばかさんたちを諫めたり、つつがない企画進行を心掛けたりと、動画成立への意識の高さも伺える。チャンネル概要によると、英語もできるという(クイズ企画でsoilやweedなどの単語がすらっと出てきていた。すごい)。その二面性にやられてしまった。

 

すぐさま、ニコニコチャンネルプラス「裏ねくろASMRちゃんねる」に登録。pixivFANBOXで支援を行い、人生初のメンバーシップ登録まで済ませてしまった。かっこかわいい音玄さんのASMRを朝な夕なに聴き放題で、なんか、もしかすると、1対1で通話までできるらしい……ですよ……どうしよう震えるとりあえず感謝を伝えないと……。

彼女についてはまた月末ブログなどにとっておくとして。

 

迷いが無い。このスタートダッシュの加速度には覚えがある。私というオタクがコンテンツを応援するとき、誰かを推すときの加速度だ。

 

あと1年、あと3年、早く推していれば。そういった悔恨が無いわけではないが、きっと私にとっては今がそのタイミングだったのだ。すべての違和感を払拭できた今しか、推し始めるタイミングはなかったのだ。

 

測り続けていたVTuberとの距離感。今が最接近している。

私の興味もコンテンツの盛衰も、今後どう転がっていくかは分からない。だからまずは、推しを知るところから始めよう。もっと強度を持って、"好き"を語れるように。

振り返ろう。2022年11月のあれこれを。

こんにちは。こどもに小難しいボケを投げかける系小児科医でおなじみのイルリキウムです。

 

こどもは大人の言うことをまともに聞いていないようで聞いているものです。言葉の意味は理解できなくても、表情や音の雰囲気を嗅ぎ取って、それが自分にとって害為すものか、益を与えるものかの区別をしています。

看護師さんがこどもを"あやし"てくれているので、私はこどもを"怪す"ことが多いですね。

 

~鼻水を吸引している最中~

私「はーいがんばってお咳して! 動悸息切れ気つけに? ♪きゅーいんきゅーいん」

看護師「知らんやろ」

 

売店に行った母親を待っている最中~

私「さて、君はママを待っているようだが、帰ってきたママは本当にさっきまでのママと同じママかな?」

研修医「こわいこと言う」

 

~処置のため一時的に拘束している最中~

私「ごめんなぁ縛るような真似してなぁ。実存を縛る……我が右手に界境を繋ぐ石、我が左手に実存を縛る刃、黒腔(ガルガンタ)が開いちゃいますねぇ! ハハハハ!

看護師「なにいってんだこいつ」

 

 

 

すずめの戸締まり

私はもともと映画に造詣が深くなく、映画館に行くことは年に1, 2回程度である。

映画が「嫌い」と言いたいわけではなく、
・快適な室温と快適な椅子に包まれたら寝ちゃうんじゃないか
ノンストップで映像が流れていくから一瞬の描写を見逃すんじゃないか
というような、危惧が強力なのだ。

シアターで観る映画は、始まったらノンストップであり待ったは効かない。小説ばかり読んでいた私にとっては、「ページを行ったり来たり出来ないことが不安」とも言い換えられるだろう。

 

さてこの日は、仕立てたスラックスを服屋さんに受け取りに行く以外には何も予定が無く、部屋掃除も一段落ついていたので、気の赴くままに行動することが許されていた。

何とはなしにTLを追っていると、「戸締まりしてきた」との報が散見される。

戸締まり?

いや普通に戸締まりはしろよ?

……違うか、何かの隠語だろうか……。とじまり……とりしまり……麻薬!!?!??!

 

TLがヤクで穢れてしまった、と震える指で検索したところ、『すずめの戸締まり』とは新海誠監督の新作アニメ映画らしい。

そういえば、私は新海作品をひとつも観たことがない

桜が有名な地元の公園にて、夜桜をバックに『秒速5センチメートル』をスクリーン上映する、という企画をチラ見したことがあるが、それも立ち止まって3分程度だ。ストーリィは記憶に残っていない。

ま、いい機会だ。観てみよう。

以前、新海作品のことを評した「RADWIMPSの長いMV」という表現を目にしていたので、もしそうだったら悲しいなぁ、と思いながら、20時からの上映を予約した。

 

※以下、少なからず映画本編の内容に言及します

半開きの扉があった

終幕。適度な充足感とともに劇場をあとにする。

まず予想通りだったのは映像の煌びやかさ。『天気の子』などで噂には聞いていた。あとは、ある程度のフェティシズム要素。ありがとうございます。私も。椅子に。椅子になりたい。椅子になりたいです。椅子になって踏まれたいし座られたいです!!!!!!!!!!!!!!(クソデカ大叫び)でも要石にはなりたくないです

 

そして予想外だったのは(これは本当に驚くほど予想外だったのだが)。

あまり泣かずに済んだこと」であった。

私は非常に涙脆い。アニメ『イナズマイレブン』のOP映像で毎話泣いていたほどだ。映画でいえばこれまでも、『おおかみこどもの雨と雪』で何度も視界が終わり、『ポッピンQ』で何度も感情が終わっている。『アンチグラビティ・ガール』(月ノ美兎)、『メルヘン∞メタモルフォーゼ』(安部菜々)、『☆(記号)をつければかしこかろう』(MOSAIC.WAV)など涙無しには聴けぬ楽曲も数知れない。今回も流涙滂沱必至だと覚悟していた。

しかし、私が目を潤ませたのは、愛媛女子・千果との別れのシーンと、常世にて要石となった草太に対し戻ってきてほしいとすずめが彼の名前を連呼するシーンの2つであった。涙が頬を走ることはなかった。何なら、他のシーンではもっと泣きたいと思って泣こうとしたのに、泣けなかったのである

 

「泣けなかったこと」は、私に起こった「ただの事象」なので、それが映画の評価を上げも下げもしないことは強調しておく。だが、これはどうしたことだろう……?

少し考えて、私は、知念実希人の『ムゲンのi』という小説を思い出した。

www.futabasha.co.jp

主人公の神経内科医・愛衣が、患者の夢に入り込み、不思議な生き物と一緒に患者の魂を救う、といったストーリィである。夢の世界の描写は、『~戸締まり』の常世と、どことなく似ている。

私には、この小説がしっくり来ていなかった。ミステリとファンタジィが両方とも主張してくる点や、タイトルが「夢幻の愛衣」と「無限の愛」で掛けているあたりが、どうにも洒落臭く、もやもやしたものだ。

 

もしかしたら私は、「リアルを下敷きにしたファンタジィ」には、上手く泣けないのかもしれない。そう思いついた。

『~戸締まり』は、現代日本を舞台にしたロードムービーであり、どこまでもリアリティが付き纏う。その度に、私の意識は、登場人物やその心ではなく、見知ったその環境に向いてしまう。芹澤がかけていた歌謡曲が最たる例だ。突然のユーミンには仰け反った。尤も、監督は「重い雰囲気を続けると観客がフォローできなくなる」といった意図で敢えてあの演出をしていたのだというから、その狙いはまさにビンゴではあるのだが。

そしてもう1点。私は職業柄、生死に対してドライな考え方を持っている。死が身近にあるが故に、簡単に心を動かされないようにしている、という意味だ。だからこそ、草太の「それでも少しでも永らえたい」という魂からの訴求には、「良いこと言う~~」とは思っても、泣きには至らなかったのだろう。

 

もっかい言うけど、「泣けなかった」=「面白くなかった」じゃないよ??

物語としてかなり面白かった。民俗学的な視点からも楽しめるし。冒頭のシーンの回収もスムーズだったし。環さんの豹変とか、ドキッとする要素もあって。観に行ってよかったか、と訊かれたらYESですから。いい時間を過ごしました。寝なかったし。寝なかったし!(大事なことなのでトゥワイス)

 

 

 

回転寿司

お寿司が好きなのでよく回転寿司に行く。うわ。日本人の7割が言ったことありそうな文章。

この日は本当に空いていた。金曜の夜なのにこんなに空いてて大丈夫か、と心配になる空き具合であった。私の座ったカウンター席は、15前後椅子が並んでいたと記憶しているが、私がいる間に私以外の席が2つ以上埋まったタイミングはなかった。

これだけ空いていると、「喧噪」が生じ得ない。

カラカラカラ、と皿が廻る音が響いて、これはこれで落ち着く……

 

テロレロレン!! テロレロレロレェェン!!「間もなく! ご注文いただきました商品が!!」

 

なになになになに??? こわいこわいこわいこわいこわい

目の前の画面から注文品到着のアラートメロディが流れ出した瞬間、私は驚いて飛び上がり膝をテーブルにしこたまドカンした。横に人がいなくてよかった。アルティメットジャーキングかまし奴だと思われるところだった。

こんなに爆音なのかコイツは。客が入っていないと攻撃的な音がダイレクトに響いてくる。寿司を頼む度にこの攻撃を受けなくてはいけないのか……自衛の方法はイヤホンをするくらいだが、それはお行儀が悪い……! 客が入るのを、待つしかないのか……!!

 

それにしても回転寿司業界そのものに元気がないのだろうか? コロナ禍の中でもテイクアウトなどが伸びているようだから、減収のイメージは無いぞ。

ということで見てみました業界動向(2022/11/13閲覧)。

gyokai-search.com

簡単に言えば、大手3社とも増収で元気そう。原価高騰の見込みはあるが、海外進出などで活発といったところだ。

しかし某Sローだけがここ数ヶ月に亘ってグラフを右肩下がりにし続けている。やっぱり、様々な媒体で報道されているようなトラブル、その始末における不手際が響いているのだろうか。

ちなみに私がこの日訪れた回転寿司チェーンは、おっと、みなまで言うまい……。

 

 

住居契約更新

今住んでいるおうちに、立派に2年間住みあげ、晴れて契約更新と相成った。\家~イ/

私が一人暮らしを始めたのは社会人になったタイミングで、つまりは2019年4月からである。しかしながらこれまでは仕事場の関係でくるくるくるくる住居が変わっていて、くるくるきみの周りを……これは坂本真綾

 

一番はじめは、初任病院の寮に入ることになった。これがもう、湿気がすごいのなんのって。春の段階で「あっ、怪しい空気だぞこれ」と田舎人の敏感な肌が危険を感じ取っていたのだが、もう盛夏を待つまでもなく、畳がペタペタになり始めた。入居時に写真を撮っていたのだが、携帯の画像フォルダが湿気りそうで全部消してしまった

8月から半年間はやや地方の勤務に変更となったため、それに伴って塒も変わった。レオパレスの1Kで、テレビやエアコンが付いていた。数ヶ月の一人暮らしには十分な設備が揃っていて、私は割と気に入っていた。そして病院の目の前だったため、始業10分前までがっつりおねんねをかまして、出勤してからパンを食べていた。アッ怠惰だなと思ったそこの君!? 田舎の病院で時間がのんびり流れているだけなの! いいの! まあ2回ほど寝坊したことあるけど!!(勤務地が近すぎるのも考えモノである)

半年の地方勤務が終わったら元の湿度1000%LOVE部屋に戻らないといけない予定だったのだが、なんと看護師が増員されたせいで研修医寮に看護師が流れ込むことになり、我々研修医は転居を余儀なくされた。そんなことあるんだ。

雇い主が抑えてくれたのはUR賃貸の一室であり、6畳の和室が2部屋揃った2DKであった。いや~びっくり。広い。ダイニングキッチンも6畳弱あり、シンク周りも広くなった。この住居にも結局は1年住むことはなく(再度田舎レオパレスが数ヶ月挟まったりしていたのもあり)、2021年の1月に今の家に引っ越したのである。

 

現マイ賃貸ルームは1.5階分くらいあり、室内の梯子で150cmくらいの高さがあるロフトに上がれるようになっている。メゾネットまではいかない言うなればゾネッくらいなものだろうか。私はロフトに当たる位置に寝床を構えている。

本棚を買ったり作ったり、インテリアを揃えたり、ゴミの一時置き場を決めたり……、2年経って、ようやくこの空間におけるベストを構築できてきたと思っているため、しばらくはここから動きたくない。

詩子お姉さんがみてる

 

今年は高速通勤をしているが、特に苦ではない。引越しの苦しみに比べたら吹き→即→飛ぶ。

来年も車で1時間の距離にある病院に勤務することになりそうだが、特に苦ではない。引越しの苦しみに比べたらワンパン→即→沈む。

 

 

講談社現代新書

読書好きの人間の中には、「新書」というジャンルの本を読む人間がいる。

(実は、上の文章には部分的に誤りが含まれている。新書はジャンルというより判型のことだ。新書判で出されているものには小説などの"ノベルス"もある。だが感覚的に、「新書」と単独で言った場合は、ノンフィクション・学術的内容を解説した「〇〇新書」というレーベルのものを指すことが多い気がする。以下もその言葉遣いに準ずる)

 

そして新書読みの人間というのは、新書の表紙デザインでレーベルを答えられる能力が備わっている

こちらの記事をご覧ください(たけしん氏)。

note.com

わかるよね~~いいねえ~~~~

 

さて私は言わずと知れた丸善大好きマンであるが、新書の棚を眺めていて、ふと「新書ってこんなにあったっけ?」と思うに至った。私が小さいころ、図書館で見ていた新書棚とは様相が異なっている。なんだかカラフルだし、フォントも様々だ。間違いなく、近年新書レーベルは増えている。

ブルーバックスはデザインが変わっているし、カッパ・ブックスはとうの昔に同社の光文社新書に取って代わられていた。多湖輝『頭の体操』シリーズは何回読んだかわからない……嗚呼カッパ・ブックス……。

 

デザイン的に私が一番好きなのは、講談社現代新書だ。

私の本棚には意外と少なく、『本物の名湯ベスト100』(石川理夫)など、明らかに温泉むすめにハマってから買っただろというようなタイトルがちょこんと坐している。そうだよ悪いかよ。

bookclub.kodansha.co.jp

 

新書カバーというのは、内容の清冽さを示すように、シンプルなものがグッと来る。光文社新書オブリークラインを乗り越える題字もクールでよいし、中公新書の格調高い装幀も慣れ親しんでいるせいもあって大好きである。

だがこの講談社現代新書は、挑戦的といえる、ただの単色正方形だ。やってる。最悪の場合「誰でも考えられる」という誹りを受けかねない。

現に、このデザインが発表された当初、しばらくは杉浦康平プロデュース旧装幀ファンたちがやんややんやと喧しく(かまびすしく、と読んでください。一番うるせぇ感じのする読み方なので)異を唱えていた。

どうやら彼らは、「背の色が焼ける」「カラフルで品が無い」とかなんとか言っていたようだ。

 

は?

 

カラフルこそ正義だろうが?? 塗り潰すぞ??

 

講談社現代新書は、ジャンル・分野で色を分けていない。本当か嘘か、すべて違う色にしているという噂もある。これが並んでいる光景のなんと心躍ることか。

相・彩・明もてんでばらばらの色情報を一身に浴びて気分をアゲることの出来ない人々は可哀想とすら思う。そう。私こそは母親に「色キチ」と呼ばれて育った男。幼稚園児が折り紙をちぎってコラージュにしたみたいなポロシャツを着ている男。色こそはすべて(ジョン・レノン)。

 

ただ、このところの"クソデカ帯"には嘆息している。

講談社のHPを見ると、帯デザインを含めた装幀が掲載されており、せっかくの正方形が見えていないものばかりだ。帯にも写真を乗せたり、センセーショナルな単語で釣ってみたりと、さすがにこれには「品が無い」という言葉を使わざるを得ない。

これを〈帯汚し〉と呼んだ者がある。

 

帯汚しの対処法はひとつ。

帯・即・捨である。

すると……ほうらきれいな正方形ちゃんが出てきましたねぇ お~なでなでなで

 

みんなも好きな新書デザインを決めてビブリオバトルしてみよう!!

それでは、2022年10月のハイライト映像をお届けします。

こんにちは。マシンガンオヤジギャガー小児科医でおなじみのイルリキウムです。

 

しかし、例えば「助かるわ。あらいぐまタスカル」とか「発作的に出ちゃう。発作マグナ」みたいなのは、"オヤジギャグ"と言って良いんですかね。なんか、この言葉には、周囲が辟易しているのにしつこく言ってくる、というような否定的ニュアンスが付き纏っているように感じます。そういうのではなく、さらっと小声で一発しか言わないやつなんですよ。ある意味、口癖であり、発作です。発作マグナ。

"ダジャレ"にはもう少し文脈の合致性やストーリィ内の引っ掛けがあって然るべきだし(ex. アルミ缶の上にある蜜柑、暗い中でクライミングなど)、押韻というほど芸術的なものではないので……。何か良い表現はないでしょうか。

 

「オヤジギャグ」に相当するモノを指す語を調べてみると、英語でdad joke、韓国語で아재 개그、フランス語でblague de papa、スウェーデン語でpappaskämt、ポルトガル語でpiada de tiozãoと表現するらしい。どこかを端に発した借用かもしれませんが、どのお国でもおっさんの言うことは似ているってなわけです。

 

先月の振り返り記事が局所的に好評だったので、10月もサクッと振り返ってみることにします。

あと2ヶ月で今年が終わるということを信じたくないので、過去を見て気を紛らわせようとしています。過去過去。カコン。鹿威し。

 

 

猫カフェ

休日の当直明けに猫カフェへ行った。

突然だが、私は「人間語を喋らない生物」を総じて好まない。ルールの確立されたコミュニケーションツールが存在しない相手とは気持ちを通わすべくもない。したがって、私は動物園に行ってもパネルに書かれている学名を見てヘラヘラするのみである。ちなみにハシビロコウの学名って知ってます? Balaeniceps rexっていうんですけど、balaeni-はballaena「クジラ」から来ていて、cepsは言わずと知れた「頭」、rexはティラノサウルスでおなじみで「王様」という意味ですよね、クジラ頭の王、ってことなんですよあれクジラに見えたんですね、和名の「嘴広鸛」の方が圧倒的にセンスがあると思いませんか、そういえばこの学名、B. rexって略せますけど、ティラノサウルスにもボブさんが見つけたから「B-rex」という愛称で呼ばれるやつがいてですね、いや私は全然恐竜には興味ありませんしなんならハシビロコウにも興味ありませんけどなにか

 

しかしこの日は、今までにやったことのないチャレンジをしたくなる日であった。そして読みたい本もあった。

のんびり本を読めて、かつ今まで行ったことのない場所として、何度か前を通りがかっていた猫カフェに白羽の矢が立ったのである。

 

スピン(栞紐)に狙いを定めるネコ 品種は知らん

私の少し前にはカップルが、私の後ろからは女子高生の3人組が控えており、やはり猫カフェというのはそういうきゃぴっとした場所か、と慄きつつ入店すると、いかつい兄ちゃん2人組がボードゲームをやって猫の興味を釣っていた。こわっ。人は見かけによらないの典型例だが実際見るとこわっ。お前らみたいな見た目の奴は駅前で水商売に女の子たちを勧誘してるタイプのアレだろ。こわいことすんなよ。

 

ドリンクバーとトイレは、ネコには開けにくいタイプの扉の向こう側にあり、空間管理がなされている。私はぶどうジュースを1杯注ぎ、部屋を見渡せる端っこに座った。床に体育座りをし、背中はブロック型のソフト椅子に委ねる格好だ。

20分くらいそのまま読書をしていたのだが、風雲急を告げる。私の立てた足の間にするすると入ってくる猫がいたのだ。どうしたどうした。すると、持っていたハードカバー本が下方へ引っ張られた! キャーーー!!!

無意識に垂れ下げていた栞紐を猫に引っ張られたのである。ぷらぷらするそれが、猫じゃらしのように、何らかの本能を刺激したのだろう。予想外だった。

 

家の近くで見かける野良猫たちは人の姿を見るとドドンパのごとき初速で逃げ出すのに、違うものだな、と思いながら、この猫としばらく遊んでみた。これで日本語が喋れたら可愛いかもしれないけどなぁ(想像したら可愛くなかった)。

 

 

漢字ミュージアム

京都は祇園に、「漢検漢字博物館・図書館」、通称・漢字ミュージアムという施設が存在する。2016年にできたばかりの施設で、一度足を運んでみたいと思っていたが、行く機会を得た。

彼女が一緒にいたのだが、入口ゲートを通ってすぐの場所に掲げられている、協賛や協力者のプレートの前で、「あっ、阿辻さん笹原さん……」などと知っている漢字業界の有名人の名前を見つけてはほくほくしたり、「鑁阿寺の鑁(バン)ってどういう意味やねん」と知らない漢字を調べ始めてしまったりしたので、この全く展示物として扱われているわけではないプレートの前で10分を費やした

www.kanjimuseum.kyoto

この博物館の見どころは、何といっても"漢字5万字タワー"である。『大漢和辞典』に収録されている親字およそ5万字が、エレベータータワーの外壁にびっしり印字してあるのだ。所狭しと。まるで耳なし芳一の経文のごとくに。

ほらもうこれよこれ

家に5万字ポスターがあり、実質は同じものなのだが、このタワーの方はランダムに並べられているという点で一線を画している。楽しさが違う。知らない漢字の隣に、部首も画数も違う、何の関わりもなさそうな別の知らない漢字が鎮座まします。へへへ……じゅる(流涎)

2人揃ってこのタワーを舐め回すように読んでいたが、どうやら周囲の来館者はこのタワーを読む物と捉えていないようで、「あっ俺の名前の漢字あった」などと下らん遊戯に興じている。漢字ミュージアムというからには、漢字オタクが集まるものかと思っていた。決してそうではないようだ。本当に老若男女問わず来館している印象で、これには建てた側もニッコリであろう。

 

なお、最もテンションが上がったのは、私が先月の記事(2022年9月を振り返っておけよ! ブログなんだからさァ! - 論理の感情武装)で取り上げた「」の字を、年表の途中に見つけた瞬間である。爆笑して膝から頽れた。もう忘れない漢字。なんでこんな漢字から覚えなきゃいけないんだ。もう一回言っとくけどJIS第4水準だぞ

簋は、神に供える穀物を盛る円形の宝具のこと

 

グリーン車

友人に引きずられてとあるライブに行ったが、その友人がカジュアルに快速グリーン車を選択するので驚いた。

確かにグリーン車は快適である。快速がすでに"快い"ものだから、マシマシの快さである。しかし、別に株で大儲けをしているわけでもない友人が課金するほど快適なのだろうか。その友人は、やや目立つメイクとやや目立つ格好をした女子だから、7人掛けでおじさんの隣になるのは嫌なのかもしれない。

 

私は自分でグリーン車を選択したことが2回ほどしかないので、古い記憶を辿りつつ、ホーム上のグリーン車券売機を操作してSuicaにグリーン券情報を叩き込んだ。空いている座席を見つけて座る。天井にはSuicaを読み込ませるタッチ部があり、これで席の占有権を示すようだ。

 

私「いつも快速乗るときグリーン車?」

友人「だいたいそう。基本座れるし。あと飲めるし」

私「ふうん、なるほどね……。確かに2階席からの景色はよい」

友人「景色そんな変わる?」

私「風景じゃなくて。人が下に見えるからね。超越者、殿上人たる我々に相応しい

友人「思想やば」

私「みんなそう思って乗ってるんでしょ」

友人「君だけだろ」

 

 

柳屋ビルディング

東京メトロの任意の駅から伸びる地下道を、あてもなく歩くことがある。

東京駅から日本橋の方にてくてく歩いていたときに、そのロゴが目に入った。柳屋ビルディングである。

目に鮮やかな配色

このロゴを見た瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、まさに源氏香図であった。

源氏香というのは、いわば"同じお香当てゲーム"(これを「組香」と呼ぶ)である。5種類のお香を5包ずつ準備し、完全ランダムでそのうち5つを選ぶ。この5つのお香を順に聞いたのちに、どれとどれが同じお香だったのかを当てる遊びである。

5種類が5個ずつあるので、すべて同じお香の可能性もあれば、すべて異なるお香の可能性もある。そうして、右から5本の縦線を引き、同じだと思ったお香を横線で繋いで出来上がる図案が、源氏香図である。それぞれに源氏物語の帖名がつけられているため、源氏香と呼ぶ。

柳屋ビルディングのロゴを見てみると、右から1, 3番目の縦線と、右から2, 4番目の縦線がそれぞれ横線で結ばれ、右から5番目の縦線は単独である。つまりこれは、「1, 3番目のお香が同じもの、2, 4番目のお香が同じもの、そして5番目のお香はどれとも違うもの。3種類のお香を聞いた」という意味になる。

源氏香 - Google 検索

 

さて、さすがに全部の図案は覚えていない。このロゴはなんだったかな……なるほど花散里か。柳屋という帖はないからな……しかし花散里とこのビルに何の関係が……?

いや、ちょっと待てよ。

ほんの少しだけ違う!?

源氏香図では、上に邪魔する横線がなければ、単独の縦線は一番上まで高さがあることになっている。しかし柳屋ビルの方はどうだ。一番左の線の高さが足りないではないか!!

これは源氏香とは関係ないのではないかという疑念が生まれる。他の可能性としては、ロゴ自体がビル群の意匠化に見えないこともない。実際にこういう風な建物の配置に見える位置があるのか……?

 

答えはこのHPにあった。

guidetokyo.info

 

曰く、「柳との文字の相同性から、花散里の図をモチーフにした」とのこと。やはり源氏香が由来だったのだ。

……え、そんなに似てるか? どっちかっていうと、柳の字は、縦線の1, 2, 4番目が繋がっていて、3番目だけが離れているように見えないか?

すると澪標の方がしっくりくる。

これは……ただの帖名である澪標とは違って、花散里は源氏に愛され(正室葵の上、事実上の正室紫の上、とすると)事実上のトップオブ側室だった才媛の名前でもあるから、なのかな……(邪推)

まあでも、これでロゴの謎は解けました。やったね!