こんにちは。1月1日に当直が控えている系小児科医でおなじみのイルリキウムです。
そういえば去年の大晦日ブログを読み返したところ、2022年1月1日も当直だったことが判明しました。そんなことほんっとに1ピコメートルも覚えていなかったので、先刻実家に帰ってきた私に対して母が「去年も正月当直だったわよね」と投げかけてきたことにいたく感動してしまいました。自分の倍ほど生きているはずの彼女の記憶力を讃えるしかありません。オーシャンゼリゼ記憶力~
我々医師は病院食を「検食」として毒見することが義務付けられています。噂によると、どうやらうちの病院は元日におせちが出るらしく、少し楽しみではありますよね。
確かに季節モノイベントの際は凝った病院食が提供されていまして、桃の節句や端午の節句、ハロウィンやクリスマスなどにたまたま当直だったときは少し浮かれ気分になってしまいます(今年私は当たっていません)。当院栄養科は、味付けや食感などにこだわりを持って作ってくださっている節があるので、そういった特別メニューにも丹精が込められているように見受けられます(私は一度も食べていません)。ちなみに12月31日は年越しそばがサーヴされるそうです(もちろん私は食べられません)。
いやいやいいんですよ、こちとらおせち食べられるんで。一年の計はなんとかかんとか。これまでのちょっとした微贅沢メニューとかもう気にしません。ただ……おせちとはいえ、何段もの重箱がデーンと準備されるわけはないでしょうから、おせちっぽいおかずがいくつかプレートに並べられているものと想像します。んーなにかななにかなぁ
◆ガチ予想◆ 黒豆、クルミと小女子の佃煮、牛肉の八幡巻き、なます、雑煮
◆欲望◆ たっけぇ蒲鉾4切れとサーモンと厚切り牛タン
……ま、病院で仕事しながら食べるより家でYouTube見ながらデパ地下のおいしい弁当食べる方がいいっすよね~~~! かんぱ~~~~い!!
ひとりフリートーク
私は中学・高校の時分、放送部に所属していた。特に中学時代は、我が校に放送部を創設した先生が顧問を務めていたという経緯もあり、それはもうみっちりと指導されたものである。あまり過去の栄光を引きずるのは良くないが、全国に数少ない、中学アナウンス界の「ガチ勢」であったのだ。
もちろん大学でも放送は続けるつもりで、私は放送研究会なるサークルに入ったわけだが、そこで繰り広げられているのはおよそ発声練習とは呼べない声出しと喉を労ることを知らない飲み会などであり、エンジョイ勢との食い違いを感じた私は1年で三行半を叩きつけた。今思えば大人げないことをしたものだよ。いるじゃん、スポーツ漫画とかでさ、なんか楽しげにやってる仲良しチームがあってさ、引っ越してきたかなんかで突然そのチームに加入した性格の悪いガチ勢キャラがチームの輪を乱すみたいなやつ。あれだよあれ。え……だとしたら、めっちゃイヤな奴じゃん……(今さらになって落ち込む)(あっでも同期とは仲良かった)(本当に仲良かったのか……?)(ウーム)
そんな過激派アナウンサーの私だが、大学放送を経験してよかったと思えることが2点ある。
1点は、「多少なり"マイクで喋る人"としての仕事を頂戴したこと」。放送研究会のアナウンス班は、学部のイベントや他サークルの定期演奏会などにおいて、司会進行をお願いされることがある。もちろんサークル員時代は何件か受けさせていただいたのだが、ありがたいことに、私が脱藩した後も個人的にお仕事を持ってきてくださる方がそれなりにいたのだった。その節はマジでありがとうございます。
そしてもう1点が、「ひとりフリートークの場数を踏めたこと」である。
私が主戦場にしているアナウンスというのは、一言でいうと「原稿を伝える」営みである。そこにアドリブは無く、書いてあることを視聴者に叩き込むことに全精力が注ぎ込まれる。したがって、聴き手の耳を孕ませるような声の良さではなく、内容をストレスフリーに理解してもらえる声の良さを意識している。ウケはいらない。ハイテンションもいらない。そこにあるのはN〇Kニュースのスタジオ。次のニュースです……はいストイックストイック
しかし、読者諸兄におかれてはご存知の方も多かろうと思いますが。
私はおちゃらけキングダムの住人である。
ナレーション原稿を読みながら、心の奥底ではおちゃらけマインドが疼いていた。あぁ突拍子も無いことを言いたい……奇行に走りたい……。
そんな私に訪れたのが、フリートークのチャンスであった。サークル内外で開かれる小規模な会において、持ち回りで進行役を務めることがある。場繋ぎとして求められるのがまさにフリーなトーク。そこに原稿は無い。準備が整えば速やかにステージを去る必要がある。長尺にも短尺にも対応ができるようにしておきたい。間が持たず放送事故を起こすことは絶対に避けなくてはいけない!
ということで出来上がったのが、「アナウンサーの皮を被ったイカれおしゃべりマシーン」こと、現在のイルリキウムである。
で、だ(ここからが今月の話)。
このところ、PodcastやVTuberの配信を聴く機会が増えたからか、自分の話し方がいわゆる”フリートーク用”に寄ってきていることをひしひしと感じているのである。
これは仕事に直接的に関わる事態で、なんせ小児科医というのは半分はおしゃべりする職業なわけである。ただのおしゃべりではなく、「あなたはこういう病気だよ」「こういう経過を辿ると思うよ」「こういう治療をするよ」「またきてね~~」というプレゼンをする職業である。且つ! フレンドリィにやわらかく話を展開し、信頼関係を築く職業である!
いやー……
これはもう……
「はいっはーーいいらっしゃーーーいイルリキウム先生の外来へようこそ~~まぁまぁ座ってくださいええ、お荷物はそちらにね。あーーお寒いですよねぇ、もうさすがに暖房つけないとしんどい季節ですよってな、あっ乾燥との闘い、わかりますぅぅぅ保湿剤塗っても塗ってもひび割れとかしちゃいますよね。う~ん、アルコール消毒してるとなおさらですから、カッサカサの。カッサカサのガッサガサの。アアッッッ! ご、ごめんなさいプリンターに足ぶつけちゃいましたね大丈夫かな? プリンターちゃん大丈夫かな? 生きてる? ハハハそうだそうだ、お名前フルネームでいただいてもいいですか?」※誇張しています
え、こわ……チェンジで……
日食なつこさん
『ダンツァーレ』という曲をSpotifyくんに唐突におすすめされた。イタリア語である(danzàre「踊る」)。
冒頭、オクターブのパッセージを聴いた瞬間、私は思った。
「倉橋ヨエコ……?」
どこか影を帯びつつ力強いヴォーカルが入ってきた瞬間、私は思った。
「倉橋ヨエコ……?」
そして1曲を通して聴き、私は思った。
「光の倉橋ヨエコ……!」
あまり歌手や作詞作曲家を誰かと比べて語ることはしたくないのだが、第一印象は崩せない。特に、クラシックピアノ出身を思わせる、細かいパッセージの使い方の巧さと、声部の重ね方が強く印象を残した。ピアノを聴くだけで、くぐったりまたいだりしている指遣いが見えるのだ。中間音域の使い方がバロック的に聞こえる。間違いなくクラシックの出だ。
倉橋ヨエコさんも純然たるクラシックピアニストの出自を持つ。こうして、ヨエコスキーの私は、「日食なつこさん、もしかしたら、これはハマっちゃうアーティストさんかもしれない」と思いながら、曲をディグり始めた。
なおヨエコスキーが高じて投稿した記事はこちらです読んでくれ↓
結果
・ハマった
・しかしヨエコではなかった
まぁもちろん、ヨエコに似ていると言える部分はある。だが、日食なつこさんはまた別種の特異な世界を形成していた。つまりそれは、カレーとハヤシライスのようなもの。ピカチュウとイーブイみたいなもの。タイとマレーシアみたいなもの。埴輪と土偶みたいなもの。は?
先にリンクを貼った記事の中で私は、ヨエコの特徴として「情念狂気ヴォーカル」「跳躍執拗リフレイン」「階名シ終止」の3点を挙げた(なんかボカロ曲のタイトルみたいになってんな)。
日食さんの曲には、纏わりつくような情念は無い。しつこいリフレインも無い。おとなしくトニックで終止する。そう、ヨエコほど粘性が強くないのである。
むしろ逆で。
日食なつこさんの曲は、粘性が低い。なのに、なのにである。曲を構成するすべての要素がきゅっとひとまとまりになって、一塊となって聞こえてくる。ピアノがバンドサウンドの様々なところに絡んでくるし、歌詞の意味内容を意識されずヴォーカルすらも音世界に組み込まれている。ピアノがヴォーカルであり、ヴォーカルがピアノであり、ピアノがドラムであり、ベースであり……。これが彼女の曲世界であると私はみた。
それに関連して、彼女の曲には「無声化or凝縮させて装飾音符的に当てたメロディ」が非常に多い。
例えば、『エピゴウネ』。
〈情熱だけで生き残れたら〉(1:40~)は以下のように歌われている。ツとキは無声化しており、キは装飾のように僅かな音価しか持たない。
譜面を書くのは省略するが、
『Dig』の〈ポケットに入る夢くらいで喜んでる奴らを飛び越えろ〉(0:43~)
『水流のロック』の〈挑みもしないよ泥濘のさなか 僕らの尾ひれ胸びれは〉(0:22~)
などなど、挙げきれないほどある。
どんな歌手にもこうしたシンコペーションの部分を見つけることはできるが、彼女の場合はそれにしても多い。これは、ヴォーカルがメロディラインの一声部としての機能のみを忠実に果たそうとしている証左ではなかろうか? 文字を読むのではなく、リズムとして曲に乗せる。そう聴いた方が自然に感じる。
ものによっては、ゴーストノートのような役割を果たしているようにも聞こえる。グルーヴの後支えだ。
かくして、私はまたひとり、素敵なアーティストに出会ったのであった。よかったね。
マフラー
ワイ、マフラー失くしがち。
マイマフラー、どこ
— イルリキウム/43Tc (@I_verum43) 2021年12月20日
なんであんな嵩あるもんがこの短期間に2本もどっか行くの?
こっちが聞きたいよ
あたしのマフラーどこ!?!?!?!?!?!?
— イルリキウム/43Tc (@I_verum43) 2022年12月23日
ツイートしているのがこの2回なだけで、実際はもっとどっかにやっている。見つかったり見つからなかったりする。色合いが気に入っていたものは、昨シーズン私の元から去って行ってしまった。私の首が気に入らなかったのね……でもアンタ普通にブランドもので高かったじゃないの……。
どうしてマフラーだけこんなに失くすのだろう? 自我があって首からスルリと抜け出していくのか? と思っていたが、記憶を遡ると私は帽子も失くしがちな男であった。
幼稚園年長かあるいは小学校低学年のとき、大型百貨店の本屋の平積み雑誌の上に帽子を置いてそのまま帰ってきてしまったことがある。見事に紛失した。未だに私の手元に返ってきていない。
しかも、本屋で帽子を失くしたのは2回だ。1回だけならうっかりで済むが、2回だ。
こうなると、私の注意力が散漫説、帽子が本好き説、本屋が帽子好き説の3通りしかなくなる。私は2番目の説を推したい。ごめんなさい注意力散漫です。
帽子やマフラーってことは、私は防寒具的な身に纏うものに気を付けた方がいいということになる。確かに手袋もどっかに置いてきがちだし、スキーから帰る途中の土産物屋さんの駐車場に防寒靴を落っことしてきたこともある。記憶を辿るとなんかめっちゃ忘れ物メモリーが蘇ってきた。マジか。思い出したくない。
こっからの季節は気を付けて過ごします(フラグ)
山黒音玄さん
推し。
おしです。よろしくおねがいします
2022年下旬から、VTuber沼のほとりで指先をチョロチョロ突っ込んだりしてみていたら、今月、突然沼の中からヌシのような大魚が現れて私を丸呑みにしていったのである。私は今、沼の中からノートPCをカタカタしている。あ、うちのPCはウォータープルーフなので心配は要りません。
そう、そのヌシこそが、山黒音玄さんだ。
_人人人人人人人人人人人人_
> みなのもの~ ( ^ω^ ) <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
私とVTuberの接近遭遇エピソードについてはこちらの記事を参照されたい。
「接近遭遇」とはUFO研究家のハイネク博士が提唱した用語であるが、
・近くからUFOを観測する"第一種"
・UFOにより物理的影響を被る"第二種"
・搭乗員と接触する"第三種"
に大別される。
当該記事においては、VTuberの配信を観始めた第一種接近遭遇、音玄さんにぞっこんになってしまった第二種接近遭遇までを扱っていた。
あのエントリをアップしてから1週間も経たずして。
私は、あおぎり高校のFANBOX支援プランによって、第三種接近遭遇、すなわち直接の会話をする機会を得た。
これはもう、今月一とか今年一とかそんなレベルではなく、人生で5本の指に入るほどの緊張を伴う体験であった。え? お前人前で喋るの慣れてるだろって? あのね、大勢の前より一人の好きな人と喋るほうが緊張するんだよ知ってた? 知ってるよね?
私の経験で比較するなら、
*練習の足りていない大曲をピアノの発表会で披露しなくてはいけなかったとき ⇒ 緊張度30
*県ローカルのラジオに出演したとき ⇒ 緊張度70
*初めて患者さんに対して採血したとき ⇒ 緊張度90
*音玄さんとの通話 ⇒ 緊張度4兆
こんくらい違う。私が小学生みたいな単位出しちゃうほどのその異常さたるや。みなさんもご理解いただけたのではなかろうか。
もし私の通話風景を傍受していた方がいたとしたら、おそらく「そんなに緊張しているようには聞こえなかったけど……」と言うだろう。そっちに関しては私のスキルというか慣れの部分だ。人の目線を気にするあまり、緊張しているように見せない自動制御能が働いていただけだ。内心は混乱と情熱のあいだだった。心拍数は新生児を遥かに超える200オーバー。もうなんか、私だけがこんなに緊張しているのはズルいので、この記事を読んでいるあなたにも緊張してほしいくらいである(?)。
ほんと、ありがとうございました……。
果ては、ドミノを倒せという怪電波を受信したり、「こまねく」「ねくこま」はどっちがいいのか脳内論争を繰り広げたり、とにかくここ数週間は音玄さんのことを考える時間ばかりである。いまの私に脳内メーカーをかけて、〈音音音音音音音音〉とならなかったら、その脳内メーカーは不良品なので粗大ごみ回収に出した方がよい。
クリスマスなので音玄ドミノで遊びました#山黒音玄#あおぎり高校 pic.twitter.com/FoYdmgvVKT
— イルリキウム/43Tc (@I_verum43) 2022年12月25日
\脳内どっちで呼ぶ戦争/
— イルリキウム/43Tc (@I_verum43) 2022年12月26日
・公式タイトル「こまねく」
・公式キービジュ「音玄&こまる」→「ねくこま」
・五十音順「こまねく」
・誕生日順「ねくこま」
・真言宗の法衣は茶>黒「こまねく」
・柔道の帯は黒>茶「ねくこま」
・音玄さんが左耳→左大臣>右大臣→「ねくこま」#あおぎり高校
(ちなみにこの「ねくこま大戦争」に関しては彼女から「迷走しすぎじゃね(褒めてる)」と本当に褒めているのか若干明らかでない評価を得た。ブログに再掲しているということは、私は気に入っているっちゅうことでごぜえやす)
音玄さんのどこが好きか、私の中では事細かに言語化することは可能なのだが、紙面が足りないし、それよりなにより、当ブログが音玄さんご本人の目に触れる可能性があるので、控えめに表明するに留めておく。
何せ、日ごろ私の言語化は、狭くニッチな部分を拡張しまくるスタイルでやらせていただいている。鳥取砂丘の中の砂粒ひとつを、鳥取県全土の面積かのように語る。もし私に、そのスタイルで語るファンがいるとして、「イルリキウムさんの発音のこの音が好きで、それはこうやって口を動かして発音してそうな感じだからで、この音とこの音が繋がったときにこうやって聞こえるのが好きなんですううう」と言われたら、いや、嬉しいよ? 嬉しいけど、今度からその発音をするときに気になっちゃうじゃないですか。そういうことです。
だから大まかにいうと。
私は彼女の「曲線的輪郭をもつ声質」と、これまでに勉強してきたことが身になっているであろう「知性的な雰囲気」が好きなのだ。
昨年の大晦日のブログには、
「いい観光地と、いい香りと、いい友達に、巡り会えたらいいな」
なんてことを書いたが、とんでもない。
いい推しに巡り会えてしまった。
2023年、どうなる?