イルリキウムです。
本エントリは、音楽トークと互いの人間関係エピソードを肴に酒を吞み交わす我が朋友・なまおじ氏が主宰する「楽曲オタク Advent Calendar 2021」第8日目の記事である。
* * *
楽曲オタクといえば、常にサブスクを巡回して新曲をディグったり、好きな作曲家の曲を片っ端から収集したり、といったイメージを持たれるかもしれない。
しかし、私はそうした努力を放棄し、楽曲語りオタク一辺倒のスタイルを貫いている。
それは、楽曲を多角的に深掘りして解析し、どこが自分の性癖であるかを詳らかに言葉とする営み。
今年も、いくつかの楽曲語り記事を公開した。
「ここが好き! 好き好き好き!」と言っているだけの記事で、全く学術的な知見に基づくものではないのだが、こうしたエントリに反応をいただける場合がある。時には、作曲者本人から。
なまおじ氏の指摘を思い出す。
非常に私的な音楽語りが、音楽の聴き手にはもちろん、時には作り手にも共感を呼び、果ては誰かと心のつながりを感じられることさえある
その”心のつながり”を広げていくために、今日も楽曲語りをしようではないか。
良い曲をたくさん発掘してくれる、慈愛に満ちたブログの管理人のみなさん。これからもよろしくお願いします!!!(他力本願)
なんで急に童謡を?
私は小児科医として病院に勤務をしているのだが、病棟なり外来処置室なりで、こどもの気を引くために映像や音楽を流すことがよくある。
ふと、映像をじっくり見てみた。
アンパ○マンさんが、ばいきん○んさんと仲良く歌っている。
〽 しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
……良い曲だなぁ~~~。
そう。童謡や唱歌には心を打つものが多い。小さな頃に見た情景を思い起こさせる。
「日本人が普遍的に持つ感覚」なるものがあるとすれば、その形成には、こうした"共通の音楽体験"も大いに寄与しているだろう。
分数augとかアッパー・ストラクチュア・トライアドとか複雑怪奇な和音で脳味噌をとろとろにしているそこの私!
最近、ヒューマンビートボックス、ループステーション界隈の曲をよく聴いてブチ上がっているそこの私!
童謡の良さを思い出せ!!
こうして私は懐かしの童謡を聴き漁るに至ったのであった。
本記事では、令和の音楽で耳の肥えたみなさんにも満足いただけるであろう童謡・唱歌を4曲ご紹介する。
「童謡」と「唱歌」と「歌曲」
気になる方のために、先に言葉の話をしておく。適宜読み飛ばしてほしい。
何となく似ているこの3つの言葉、まあまあ混同されがちなのだが、表す範囲が異なっている。特に「童謡」「唱歌」には重なる部分が無いと考えて差し支えない。
以下、足羽章編『日本童謡唱歌全集』より引用する。
「唱歌」とは、明治5年、わが国に学制が頒布されてから、大正7年、鈴木三重吉の「赤い鳥」によって「童謡」という言葉が用いられ、その創作運動がおこるまでの子供の歌すべてと、それ以後の文部省著作および民間会社編著制作による教材用曲をあわせたものの総称、といってほぼ間違いない
「唱歌」は、"徳性の涵養と情操の陶冶に資する"ことが目的とされていたため、内容がカタかったり文語調であったりする。
しかも、唱歌のひとつである「文部省唱歌」は、国が作った、という体裁ゆえに、作詞作曲者は不明。真の作詞作曲者は闇に葬られていたのだ。なんてこった……。
(※後世になって作詞作曲者名が記載されはじめたパターンも多くある)
一方で、「童謡」の発想はもっと柔らかい。こども本来の感性や楽曲の芸術的側面に重きを置いている。
「歌曲」というのは、主に独唱の発表用の曲、といった意味合いの言葉である。
もともと歌曲として作られた曲も多いが、一部の童謡や唱歌は歌曲に含めてもよいだろう。
それでは曲紹介
詞・楽譜はすべて、
足羽章編『日本童謡唱歌全集』ドレミ楽譜出版社 (2014)
に掲載されているものを用いている。
- ① 待ちぼうけ (作詩/北原白秋、作曲/山田耕筰)
- ② アイスクリームの歌(作詞/佐藤義美、作曲/服部公一)
- ③ わらいかわせみに話すなよ(作詞/サトウハチロー、作曲/中田喜直)
- ④ お菓子と娘(作詞/西條八十、作曲/橋本國彦)
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① 待ちぼうけ (作詩/北原白秋、作曲/山田耕筰)
中学生のころ、伴奏を弾く機会があったのだが、曲としての美しすぎる出来にあまりに衝撃を受け、以来、もし「一番好きな唱歌は?」と訊かれたときはノータイムで『待ちぼうけ』と答えることにしている。しかしまずそんなこと訊いてくる酔狂な輩はいない。
詩は、中国の故事「守株」を素材にしている。漢文の授業で学習した方も多かろう。
ざっくり言うと、
『たまたま、切り株に躓いて死んじゃったウサギをゲットできた人が、
またウサギ来ないかな~って切り株のところでひたすら待ってたんだけど、
やっぱりそうそう来ないよね。ばぁか♡』
みたいな話である。
[参考] NHK高校講座 国語総合第19回 ラジオ学習メモ「守株」
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_kokugo/archive/2017_kokusou_19.pdf
故事なので、内容は含蓄に富み、ある意味説教的だ。
しかし、曲は非常にリズミカルで楽しげに展開する。5番まであるため、演奏者の解釈で起伏をつけることがしばしばみられ、物語一篇を通して読んだ気分にさせられる。
この曲のヤバいところは、「階名ドで始まらず、階名ドで終わらない」ところだ。
【ミソソーソー】と始まり、【ドーソミレーミー】で終わる。
こどもたちの歌うような曲なんだから超単純でシンプルな曲しかないと思った? 残念! 西洋音楽を操り倒し、自身の名を"Kósçak" Yamadaと表記した山田耕筰の作品は、一筋縄ではいかない。余談だが、ドーソミレーミーはとても歌いにくい。
ドで始まらない童謡・唱歌はそれなりにあるが、ドで終わらない曲となると珍しい。
『待ちぼうけ』は、ミ始まり、ミ終わりの、世にも珍しい作品なのである。
ちなみに、彼の代表作『ペチカ』も、ミに始まりソで終止する。『この道』に関しては、2拍子と3拍子がくるくると入れ替わる変拍子曲だ。
さすがKósçak。痺れる。
工夫の凝らされた伴奏にも着目したい。
〈待ちぼうけ 待ちぼうけ〉の間を埋める装飾音符がある。可愛らしさを添えているが、〈そこへ うさぎが〉のところで、再度この装飾が出てくる。
2箇所を比べてみよう。
〈待ちぼうけ〉の方は、語感と意味ののんびり感を表現するように、右手もテヌートでのっぺりしている。
〈そこへ うさぎが〉に来ると、〈待ちぼうけ〉と同じ【ミソソソ】のフレーズが、1小節にふたつ分現れる。呼応するように、装飾も二倍出現しているのが分かるだろう。ウサギがぴょんぴょん跳んで映像的に動きが出てくるのを、効果的に表現している部分といえるのではないか。
直後の〈ころりころげた〉の伴奏は、うって変わってトニックの広い分散和音となる。起承転結、でいう結にあたるところで、聴き手の集中を引き戻す効果がある。
これだけの短い曲に、多くの展開と仕掛けが盛り込まれているのだ。
いや~~、世紀の名作っすね。
② アイスクリームの歌(作詞/佐藤義美、作曲/服部公一)
続いては、戦後の1960年に大阪朝日放送で発表されたこちら。
この曲の神髄は、中間部のオシャレな転調と、佐藤義美の精緻な言葉選びにある。
当時は、アイスキャンデーは普及していたものの、アイスクリームとなると本当に「めったなことでは食べられない」奢侈品であった。
曲では、そんなアイスクリームを、「王子様や王女様も食べられなかったけど、自分は食べちゃうんだ……」と感動を湛えて口へ運ぶ姿が描かれる。そして口に入れた後の賑やかな情動を「喉を音楽隊が通る」と表現するのだ。
音楽隊は〈プカプカドンドン〉〈ルーラ ルラルラ〉〈チータカタッタッタッ〉と様々に楽器を鳴らし行進していく。この擬音と、共に行われる転調が、曲をいっそう表情豊かなものにしている。
よく、「〈ぼくは王子では ないけれど アイスクリームを めしあがる〉という歌詞は、尊敬語の使い方を誤っている」という指摘がみられる。
なるほどなるほど。よく敬語を勉強していますねぇ~
…………。
そんな野暮で的外れなツッコミをする人間は一生アイスクリームを召し上がらないでいただいていいですかぁ~!?(キレやすい若者)
『アイスクリームの歌』は童謡である。童謡というのは、こどもの心象風景を表したものである。決して、こどもの教育を主眼に書かれているわけではない。
アイスを食べたこどもが「王子さま気分で」いるのであれば、自分に対して尊敬語を使っている姿は全く誤りとはいえない。むしろそれが、等身大のこどもの姿をこどもの目線から表した詞だ。なんとも可愛らしいではないか。
「アイスクリームを"いただく"」なんて言い出してみろ。全然可愛くないやろがい。「ところてんを三杯酢でいただく」とでも言われてる気分じゃい。
※ 同様の言及がこちらの記事でなされている。やっぱそうだよね
「アイスクリームの歌」佐藤義美の矜持 (big.or.jp)
さて。先頭に載せたyoutube動画は『日本童謡唱歌全集』のものと同じ伴奏で演奏されているが、何度聴いてもこのバージョンのピアノ伴奏、シャレオツを極めている。
・前半の〈おとぎばなしの~〉では2小節目にあった付点の伴奏フレーズが、後半の〈ぼくは王子では~〉では3小節目に移動している
・〈舌にのせると〉は全体としてⅤ7だが、左手が半音でゆらゆら動いて♭vを鳴らすため、#11の響きをもつ。甘い。
・クロージングヴォイスはM7(13)! あまーーーい!!
ちなみに、こうした付点主体のリズム=西洋菓子、のイメージは、湯山昭の「お菓子の世界」という曲集にも見て取ることができる。ピアノに心得のある方には全員におススメできるソロピアノ集だ。
更に、これはちょっと本筋からズレるが紹介したい。
東京事変の男性メンバー4人による、"大人の"『アイスクリームの歌』。最初聴いたとき、えちえちすぎてぶっ倒れるかと思った。絶対アイスにウイスキーかけてんな……。
③ わらいかわせみに話すなよ(作詞/サトウハチロー、作曲/中田喜直)
1954年発表の作品。
中田喜直は恐ろしいほどの多作で知られるが、歌詞とメロディがいかに合致しているかという点には心血を注いでいた。
何せ、『君が代』に対して「歌詞が短いのにメロディが間延びしていてひどい曲だ」と酷評を突き付け、自分で歌うことはなかったというのだから、筋金入りである。
サトウハチローによるコミック調の歌詞に、そんな喜直渾身のメロディが付されているのがこの楽曲だ。
ポイントは、〈わらいかわせみに話すなよ〉と〈ケララケラケラ ケケラケラ〉の対比。実際に「おい、マジでアイツには話すなよ」とひそひそ話をしている姿が、そして、ワライカワセミがケケケと鳴いている姿が目に浮かぶような構成に目を瞠る。
〈かわせみに話すなよ〉の部分のメロディは順次進行で滑らか・物静かな一方、〈ケララ ケラケラ〉のメロは【ドララ ドラドラ ドドラドラ】と跳躍する。
〈ケ〉は【ド】、〈ラ〉は【ラ】に当てられて、歌詞に合っているのも特徴的だ。
伴奏は、〈わらいかわせみに~〉の和音【ソラドレ】が面白い。構成音はD7sus4だが、ルートにGが来ているので、Gsus2+sus4のような響きで3rdを欠くため、無調に聞こえる。歌詞にぴったりだ。天才の所業。思いつかんわ。
ワライカワセミ(laughing kookaburra)という鳥は本当にいる。
この曲のせいで、人の知られたくない一面を聞きつけてせせら笑うという嫌味ったらしいキャラがついてしまったが(?)、そんな性格の悪い鳥ではない。多分。鳴き声は縄張りの主張だっていうし。
なお、種小名のnovaeguiniaeには「ニューギニアの」という意味しかないので、学名には"笑い"という意味が全く含まれていない。ちょっと残念。
④ お菓子と娘(作詞/西條八十、作曲/橋本國彦)
1928年発表の作品。歌曲であり、ほんのり大人向けである。
冒頭から煌めくようなアルペッジオ。下っていく中で、単純にC MajorのダイアトニックコードであるBm-5とするのではなく、Bmとしているところがキラっと耳に残る。
曲が進んでいくにつれてピアノのパッセージはどんどん細かさを増していく。ラヴェルなどを想起させるような……。
それもそのはず。橋本國彦は留学先こそウィーンであったが、その後に出会ったフランス留学帰りの詩人から影響を色濃く受け、印象主義の音楽にのめり込んでいたのだ。
八十は八十で、パリ在住時代の景色を詩に残している。このタッグは必然だったというべきか。
詩は4つの段落に分けられる。
だが曲は、明確に1~4番に分かれているわけではない。メロディは、年頃の女の子の気分のように少しずつ音型を変えていくため、同一フレーズの繰り返しが存在していないというわけだ。
実際に「お菓子の……」「選る間も……」と発音し、音程と比較してみると、見事に上下動が単語の高低と一致する。日本語は高低アクセントであり、歌曲におけるアクセントと音程の一致は、曲を自然ならしめる要素といわれているのだ。
メロを固定した結果、音程不一致を引きおこすのではなく、音程一致となるようにメロを流動的にする。これは、多くの佳作に共通して用いられている作曲手法である。
(註:決して「音程不一致」の曲を不自然なものとして切り捨てているわけではない)
〈ボンジュール〉〈エクレール〉〈ラマルチーヌ〉などの横文字を効果的に用い、付点を適度に放り込む(譜例の赤丸部分)ことで瀟洒な雰囲気を湛えているところが憎いね……!
メロディが大好きな曲なので、子供向けの作品ではないものの、選出した次第だ。
おわりに
誰もが子供の頃に何かしらの童謡を口遊んでいただろう。今も歌える曲がたくさんあるに違いない。
普段音楽を聴かない人にも、耳の肥えた楽曲オタクにも、等しく心に刻まれている曲があるならば、その曲こそ、"心のつながり"を生むきっかけになり得る曲ではないだろうか。
本記事が、童謡・唱歌・歌曲を見つめ直すきっかけになれば嬉しく思う。
では、また来年の楽曲語りで!