論理の感情武装

PDFに短し、画像ツイートに長し

MOSAIC.WAVの『片道きゃっちぼーる』を知ってほしい

イルリキウムです。

 

 

私にとって、

胎児~乳児期の心の故郷がモーツァルト

幼児期の心の故郷がビートルズであるならば、

学童期~中学生時代の心の故郷はMOSAIC.WAVといって間違いない。

今までの音楽歴がなんだったのかと思うほどの急ハンドル。無免許運転。3年以下の懲役又は50万円以下の罰金(道交法第117条の2の2)。

お笑いが好きな私は、よく「この2人が人生のどこかで出会ってくれてコンビを組んでくれてよかった……本当によかった……神さまありがとう……」と天に手を合わせることがあるものの、最もコンビを組んでくれてよかったと思えるのは柏森進氏み~こ氏であることに、議論の余地は1オングストロームも無いのである。

 

言葉の意味を大切にして紡がれた歌詞に、心を動かされること数知れず。

こちらを否応にノせてしまう合いの手とキメのパッセージのパターンもアンカウンタブル。この世に存在するカッコいいキメを使い尽くしているのではないかと感じてしまう。

かやぴの前衛的でテクニカルな音色選びのセンス、キャッチーなメロディメイカーとしての手腕は、「電波ソングアキバポップ作曲家」という言葉に押し込めてしまうにはあまりに勿体ない。

そしてみ~こ様ヴォイス。音程の無い"台詞"と、音程のついた"歌"とを、あれだけシームレスに聞かせる人間は他にいない。下手に抑揚をつけたり情感を込めたりしないその塩梅も絶妙であり、誰かがカヴァーしても、み~こ様の声でないと満足できない体にさせられている。

 

 

Q. MOSAIC.WAVで一番好きな曲は?


 

なぁにその質問???

 

無茶である。決められるはずがない。好きに明確な順位をつけるほど困難なことはない。

苦し紛れに、「お前の頭からMOSAIC.WAVの曲の記憶を1曲だけ除いて消してやる、と言われたらどうする?」という質問に置き換えてみる。

 

……そしたら『めがねでねっ!』だわ。

眼鏡属性のアンセムだもん。めがねしーてっ めがねしてっしてっ

めがねでねっ!

めがねでねっ!

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さてこの無理くり捻り出した質問を、「MOSAIC.WAVで一番人に聴いてほしい曲は?」と変えてみる。

All Last One Chance!』や『ようこそ!ヒミツの雀バラや!?』など、麻雀用語を散りばめた言葉遊び溢れる楽曲にドハマリする友人もいるだろうし、

キミは何テラバイト?』『電気の恋人 /* I am Programmer's song */』といった、電脳世界で生きてきた我々のノスタルジィを刺激する楽曲に涙する友人もいるだろう。

 

 

本稿は、この質問に対して「それなら、『片道きゃっちぼーる』を聴いてほしい」と答える、イルリキウムによる楽曲語りである。

作詞・作曲:柏森進

片道きゃっちぼーる

片道きゃっちぼーる

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(※2021年9月19日現在、本邦のApple musicとSpotifyでは配信していないようだ。少なくとも私のデバイスではプレヴューしか出来なかった。レコチョクでは聴けた。ちなみにリンクは貼らないが、動画共有サイトには上がっていた。興味があったらCDをぜひ!)

 

 

 

楽曲の背景と魅力語り


◆背景

『片道きゃっちぼーる』は、御形屋はるか(おがたや、と読む)さんの4コマ漫画『ぽてまよ』がアニメ化された際のOPテーマである。2007年リリース。

GYAO! で2022年3月末まで無料配信しているようなので、とりあえずこのOP映像だけでも見てみような。な。大丈夫。事前知識なくて大丈夫だから。マジ泣いちゃうから。マジで。

gyao.yahoo.co.jp

 

なお、片道きゃっちぼーるの歌詞は、この作品の内容を加味すると納得のいく部分も少なからずあるのだが、今回はあまり突っ込んだ話はしないでおこうと思う。

 

 

◆タイトル

キャッチボールは、よく「会話」を喩えるのに使われる。

相手から投げかけられた球の道筋を見極めて捕りに行く。こちらが投げるために握り直す。そして相手が捕れるようなボールを返す。

なるほど、"会話のキャッチボール"とはうまく言ったものだ。

 

それが「片道」なのだから、片方から投じられたボールは、ちゃんと戻ってこないのだろう。受け取られていないのか、相手の返球がとんでもないのか……。

とにかく、「コミュニケーションがうまくいかないなぁ」という気持ちを、このタイトルからだけでも想定することができる。

〈きゃっちぼーる〉を平仮名にすることで柔らかさと可愛さが出ているが、〈かたみちきゃっちぼーる〉では頭が弱すぎる。漢字を残すことで、複雑な心情の機微をバランスよく表現しているように思う。

タイトル大賞2007獲ってるでしょこれ。

 

◆0:00~ イントロ

まずは、小さな生き物がてちてちと歩いてくるときの効果音のような、「トゥーウィッ トゥーウィッ」という音がフェイドインしてくる。

かわいい~、と思っているところで、重めのキックが4拍。ただし、「ドウゥン」というような沈み込む音ではなく、「ドゥクシッ」ってな感じの軽妙さを含んだ音色だ。
まだ音程楽器は出てきていないが、この4発が、あっという間に聴き手を曲世界に誘う。

 

続くイントロ。メロディよりもリズムを主体にしており、MOSAICが得手とするキメを存分に押し出している。

重要なのは、1, 3小節目の頭にアタックがあることと、残りの箇所はほとんど裏拍を打っている点である。後ろで半音の上下動があるので既に楽しげな雰囲気があるが、裏打ちのノリがそれを後押ししている。

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直後、勢いのままにAメロに入るのではなく、「トゥーウィッ トゥーウィッ」を1小節だけ挟むのが憎い!

ここでクールダウンして、落ち着いた空気の中で歌が始まっていく。

 

 

◆0:12~ 1A〈ドラマのように〉

トニックで開始するAメロ。イントロからAメロへはファイブワンの構造で繋がる。
一方メロディは、階名で【"シド"シソーーミファソ】と始まる。
イントロのドミナントからAメロのトニックへ、ソラシド、と上っていくイメージに寄り添っている。

 

「噛み合った会話=台本としての会話」という発想は、意外なところに源があった。

 

アンガールズありがとう。おかげで名曲が生まれている。

 

◆0:35~ 1B〈ズレたままで〉

Bメロからは上の音域にコーラスが入ってくる。また、このコーラスはセブンス【ⅣM7→Ⅲm7】をなぞっており、はっきりとコードの重層感が立ち現れてくる。

こうして、曲に厚みとスムーズさを持たせる一方で、コーラス自体も細かく裏打ち(2, 4小節目)をして、リズミカルさを失わないように配慮されている。

メロディを見てみよう。

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似たパッセージが繰り返されるが、赤線の箇所は僅かに変化している。

特に前半の〈ままで〉と〈糸は〉の箇所は、休符の位置が移動してシンコペーションが変わっている。変えなくても曲に大きな影響は無いのだが、マンネリを避けるために敢えて変えている、と私はみている。

〈強くて〉のところも、4拍であることを考えれば、上の〈なるもんね〉と同じ音型でよさそうである。逆に、下の音型では音が3拍に減るので、〈つよ〉が1音に押し込められる形となる。そうなってでも、ここは音型を変えて、続く〈長いけれど〉の前に1拍の休符を置きたかったと考える。

加えて、〈つよ〉を1音に詰めることによるメリットもある。細かい、拍にきっちりハマらない"装飾音的"効果が生まれ、耳のスパイスになるのだ。

……これ、ぜひ2番まで聴いてほしいんですよ。お待ちあれ。

 

〈結び方"は"〉の部分は、♭Ⅶにメロディが9thで乗ってグッと来る運びになっている。サビに向けてテンションが上がる素敵なメロディワーク!

 

歌詞を見てみる。

〈ズレたままでわりとなんとかなる〉。これはこの曲を通して訴えられている内容に繋がる。

それは、「コミュニケーションがうまくいかない、けど、別にそのままでいいんじゃない?」という受容。これに気付く第一歩となるアイデアがここで歌われているわけだ。

相手との認識のズレや、考えの齟齬。それを気にして生きるのは辛いものだが、そんなものはあって当然のものとして、受け入れて包み込んでいく。

そうした包容力の香りを、ここから本楽曲は漂わせる。

 

〈赤い糸は今は前より強くて長いけれど〉。

赤い糸というキーワードが出てきた。特別な結びつきを想起させる、"わかりやすい"アイテムである。

これを、単なる一般名詞の「糸」として捉え直す。当然、結びつきが強いことは、「糸が強い」ということになるだろう。より離れていても繋がりを感じられる、と考えれば、「糸が長い」という表現にもなる。

それでも、〈結び方はよく分からない〉のだ。

赤い糸は結ばれなければ意味がない。相手が近くにいて、どんどん仲良くなっていって、強くて長くなっても、結ばれないならば完全なものにはならない。これこそが、〈ズレたまま〉の状態だ。

本楽曲では、〈ズレたまま〉を表す暗喩がこれでもかと出てくるので注意して聴いていこう。

 

◆1:00~ 1C〈るらら ほにほに〉

このメロディ、めちゃくちゃすんごくないですか?

サビは一切メジャースケールから外れていない。複雑さは無い。それなのになんだ、こんなにときめきを喚起されるのは。
本当に、私の中では、「なんでこの歌詞にこんな天才的なメロディ当てられたんですか選手権」の金メダリストだ。〈ほにほに いつも かみあわない〉ってワンフレーズ渡されて、これにメロ付けて、って言われて、【レドレド レドソ レードレソソ↓】っていける? いけなくない??? ヤバくない????

〈るらら ほにほに〉と浮ついた間投詞は隣接した全音の移動。〈かみあ"わない"〉というクリティカルなワードは8度跳躍で印象づけ。

凡百のメロディはオクターヴの下行跳躍をこんなに効果的に使えない

 

※ちなみに〈ほにほに〉とは、『ぽてまよ』に登場する不思議生物「ぽてまよ」が発する言葉(?)である。歌詞の上で、彼女が発している言葉、と捉えてもよいかもしれない。

 

メロディもさることながら、ベースラインにも複雑さはない。メジャースケールを134562451、と動く。いやぁ……、私は複雑な音型が好きなはずなのに、めちゃくちゃ感じちゃうな。悔しいほどだ。

満足感の源泉は、ヴォーカルに2拍遅れでかかっているディレイと、おかずの電子音かもしれない。MOSAIC曲は1度聴いただけでは拾いきれない(何度聴いても無理かもしれない)ほど、裏を埋めている音色が多い。だからこそ、音数が一気に減ったときのメリハリがつくわけなんだな。

 

歌詞。

噛み合っていない〈2人の会話〉を〈コピー&ペースト〉しても、ズレたまま延々と伸びていくだけでズレが解消されることは無いだろう。

ここで〈地軸〉が〈しゃきっとする〉というのは、もともと公転軸に対して23.4度"傾いている"地軸が、2人のズレを合わせると傾きなく立ってしまう、というイメージだろうか。

私は〈プラネット〉が出てくる理由が長らく掴めていなかった(ズレたまま回っていく様が惑星を思い起こさせたからかな、と思っていた)が、2番と合わせるとなんとなく関係性がみえたので、詳しくは2番で。

〈ムリにねじってドーナツになる〉。
一回ねじってドーナツ型に繋げた紙はメビウスの帯を想像させる。果たしてそういう意味かは分からないが、ドーナツにしてしまったらぐるぐると回り続けてどこにも行けない。そうなってしまうくらいなら、〈ズレた世界〉のままで〈今日もおはよう〉と挨拶しよう、と。

 

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この歌詞を、ただ「エモい」とか「哲学的」と片付けてしまうのはあまりに切ない。
一言一句味わうと、「噛み合わなさをそのまま愛する」という、人類、いや、コミュニケーションを取り合え得る存在に対する、普遍的なメッセージを読み取ることができそうだ。

 

◆1:23~ 間奏①

ひえぇ……言うことないっすね……。

前奏のリズムを踏襲しつつ、コロコロとした音色でまとめている。もちろん「トゥーウィッ トゥーウィッ」も健在。

 

◆1:40~ 2A〈「キライ」って言葉〉

〈「キライ」って言葉 やたら使う人は嫌い あふれるパラドックス〉とある。

ところでCohen (1985) によると、この世の"問題"は4種類に分けられる。つまり、

・puzzle:論理的に正解が一つに定まる

・paradox:正解があるはずなのに、直感や常識と合致した答えが見つからない

・dilemma:直感や常識と合致した正解が2つ以上あるが、互いに矛盾している

・riddle:出題者が心に描く答えが正解である(=なぞなぞ)

(参考/三浦俊彦『論理パラドクス 論証力を磨く99問』二見書房、2016)

 

しかし、この「嫌いって言葉をやたら使う人は嫌い」という台詞は、そもそも命題や問題ではない。主観が含まれているからだ。

併せて、この歌詞では「嫌い」という言葉を今のところ2回しか発しておらず、"やたら"使う人、には分類されないだろう。

したがって、この台詞は、厳密に言えば「パラドックス」ではない

だがそんなことは、作詞の柏森さんも重々承知だ(おそらく)。
ここでこの言葉が使われたのは、横文字を適度に配置する作詞の妙である。

〈あふれる自己矛盾〉とか〈あふれる自家撞着〉の方が的確な描写である。だがカタい。センスが無い。1番で〈対話〉でなく〈ダイアログ〉とした理由と同じことである。

 

◆2:02~ 2B〈世界中で流行る〉

また同様に、〈世界中で流行るディスコミュニケーション〉には横文字が採用されている。

それにしても、discommunicationが世界中で〈流行る〉という表現は、凄まじく皮肉に満ちている……、そう思いませんか。

 

この次の歌詞が、私が最も感動した部分。

赤い糸は いまはコンビニで安くて〉。

先ほど出てきたアイテムである"赤い糸"だが、これが"人と人とを結ぶ特別な関係性"を示すものではなく、"ちょっと距離の近い関係"を示す陳腐な存在に成り下がっている、という問題提起なのではないか。

コミュニケーションの齟齬が流行っているのは、それだけ、人と人とが気軽に繋がれるようになったからで、そういう意味で、”赤い糸”も手軽に入手できるものになった、という表現に聞こえる。

いや、仮にそうではないとしても、だ。
〈いまはコンビニで安〉い、という短いセンテンスで「お手頃」という印象を植え付け、それを〈赤い糸〉と連結するのはとんでもないワードセンスである。

 

今度は音楽的な面から。

1番で、〈前よりくて〉の箇所が装飾のようになっているということを指摘したが、2番でも〈くて〉の箇所が同じようになっている。

……よく聴いてください? 本当に同じでしょうか?

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そう。無声化しやすい母音の関係で、1番では「つくて」の「よ」が伸びていたのが、2番では「すくて」の「や」が伸びている。結果、装飾を含んだシンコペが変化しているのだ! 偶然かもしれないが、この僅かな相違が、この曲を何度聴いても飽きさせなくさせている……!

 

いや~~~や~ばいね~~~

 

◆2:02~ 2C〈るらら ほにほに

歌詞については柏森さんの種明かしをとくと拝聴しよう。

この曲のテーマが、本稿で論じているように「ズレ」「折り合い」である、ということが語られていることも見逃せないが、そこからの連想で、閏年はズレに折り合いをつけている存在」と捉えているのは非常に面白い。

そして、ここで1番の〈プラネット〉〈地軸〉が活きてくる。地球規模、宇宙規模でズレてるんだから、もう私たち人間レヴェルで起こっているズレなんて、気にしなくていいんじゃない? と語りかけてくれているようだ。

 

平均律で祝えば ピアノもきっとぐにゃっとするよ〉。

(十二)平均律とは、オクターヴの間を周波数比できっかり12等分して得られる音律である(正確にはオクターヴを作るときにズレた分を12等分して各音程に割り振っている)。
等分しているおかげで、どんな調にしても綺麗に響くのだが、ハーモニーにしたときにこのズレが不調和なうねりとなって響いてしまう。うねりを取り除いてチューニングする方法を純正律と呼ぶ。
ピアノの調律は、基本的に平均律で行われる。弦長が決まっているため、なかなか他の調律法に切り替えることは難しいし、もし純正律で調律した場合、基準調から外れると逆に妙な響きになってしまう。

ってなわけで、〈平均律〉で調律されたピアノでは、ハーモニーが〈ぐにゃっと〉している、というわけだ。

これは何度も出てくる「ズレの暗喩」のひとつ。

そして、1番の〈地軸〉が〈しゃきっと〉しているのと対句をなす。

 

◆2:50~ 間奏②

1-2番の間奏ではそれほど目立っていなかったシロホンの音色が、ここでは前面に押し出されて、トレモロなどの鍵盤打楽器らしい奏法を見せつつ展開する。

後半ではブラスセクションのような音色も聞こえ、ちょっと意外な感じ。

くるくる転調を経て、D(B')メロへ辿り着く。

 

◆3:10~ D(B')〈誰かが言った言葉は〉

役割はBメロだが、メロディにマイナーチェンジがある。そして2半音下に転調している。たった2半音、されど2半音。1Bや2Bよりも彩度が落ち、切なさが増しているように聞こえる

 

〈転がってゆく〉の〈〉、アウフタクトで入るこの音は強烈だ。ベースとメロで実音を鳴らしているが、一番目立つカウンターは実音ミ♭。いわゆるトライトーン(三全音)で強い不協和音だ。

きっとこれも柏森さんの仕掛けたギミックだと私は確信してやまない。このDメロは、後半はBメロと全く同じ音型。しかし、Bでの和声進行は【ⅣM7|/|Ⅲm7|/ ♭Ⅲm7|Ⅱm7】という平行移動だったのが、Dではベースが一回Ⅵに上がっているおかげで、平行移動にはならなくなっている。結果、ベースのⅢとカウンターの♭ⅶがぶつかるわけだが、回避する方法はある。もう一回Ⅲm7を鳴らすか、Bメロ同様に♭Ⅲm7に飛べばいい。だがそうしなかった。それは、「ズレ」を音程上でも再現したかったからではないだろうか?

 

〈誰かが言った言葉は 風に乗せたとたんに いくつかの意味はもう失って〉。

そうなのだ。言葉にすれば正しく伝わるなんて、そんな簡単なものではない。ニュアンスは人と人との間を浮かんでいる間に、ポロポロ零れ落ちる。

 

◆3:35~ 落ち〈ほにほに 羽根の 整わない〉

ここは、柏森さんが故意に伴奏の音色を1つに絞って、詞を聴かせている部分だ。ぜひ歌詞を味わってほしい。

〈羽根の 整わない〉〈折り紙〉、〈ひとつだけ色の違うボタン〉はいずれも、〈ズレたまま〉の世界を示している。

それを〈大人になったときに ズレた世界も愛しく思うよ〉と歌うのだ。ついに、ついに直接的に「ズレを愛する」と歌われる。こんなに感動的なことがありますか。

 

◆3:58~ 大サビ〈るらら ほにほに〉

全音上へ戻って、元のト長調へ帰ってくる。こうして聞き返すととても明るい調だ。

後半は全く新しい歌詞が登場する。

〈言葉の色が風に消えるのを 確かめるように 素直に ズレた世界で今日もおはよう〉。

私は言葉の力を信じてやまないが、言葉の脆さと儚さも同時に理解している。その事実を、〈言葉の色が風に消える〉と言い表す。そして、それを〈確かめる〉ことは〈素直〉な営みなんだ、と。こんなにも美しい表現を私は知らない。

 

※ちなみに〈素直に〉とあるが、『ぽてまよ』の主人公である、ぽてまよの飼い主の名こそ、森山素直くんという。これはさすがに偶然の符合ではないだろう。

 


 

私たちは、多かれ少なかれ、何者かとコミュニケーションを取りながら生きている。

そこにズレや食い違いは必ず生まれてしまう。

苦しくなったら、この歌を思い出してほしいと思う。

 

誰もが、片道切符のボールを投げているのだ。

優しく拾って投げ返そう。

きっと、相手も拾ってくれるから。