論理の感情武装

PDFに短し、画像ツイートに長し

「WUG駅メロ 2nd」全19曲ひとことコメントするよ

f:id:I_verum43:20211212130335p:plain

駅名標ジェネレーター」https://tr246.github.io/Sigene/index.html

 

イルリキウムです。

 

 

本エントリは、「Wake Up, Girls! Advent Calendar 2021」第20日目の記事である。

振り返れば、WUG結成翌年の2014年に1度企画されたものの上手く継続しなかったWUG Adventが、2017年に復活して以降、枠を欠かすことなく襷を繋いでいるのは感慨深い。解散を経てもなお、という点で殊更である。

adventar.org

私はこれまでWUGにまつわる制作物をちらほら生んできたが、WUG AdventについてはROM専だったようだ。自分では意外だったが、まさかの初参加だった。お手柔らかにお願いします。
ここまで、ワグナーたちによる熱の籠った傑作が綴られている。寒い季節のお供にぜひ!

 

 

 WUG駅メロって?


 

2020年3月末から4月初旬にかけて私が制作・公開した、SSAファイナルのセットリスト33曲をJR-SH発車メロディ風にアレンジしたものである。

詳細はこちらの記事をご覧いただきたい。

i-verum43.hatenablog.com

 

どんなもんか聞きたい方はこちらを。

youtu.be

 

私は"楽曲オタク"の一面を持つため、大好きなコンテンツを深掘りして遊ぶなら、やはり楽曲をターゲットにしてしまうのであった。

 

でもさでもさ、33曲作って満足してちゃいけないんじゃないの……?

だってWUGにまつわる曲って90曲弱あるよ……?

 

 

( ゚д゚)ハッ!

 

 

そうなのである。声優名義のソロ曲を含めればそのくらいに上る。
WUG駅メロで作ったのはSSA曲のみ。もちろんソロ曲は無い。第2, 3弾のキャラソンも披露されていない。
そしてあの名作揃いのI-1 club曲も!!

こうしちゃおれん。

WUG駅メロ、第2弾を作らなくては。

 

 

そうしてできたのが


 

先日からtwitterで小出しにしていた「WUG駅メロ 2nd」である。\テッテレー/

 

www.youtube.com

 

今回の2ndを作成するにあたって、少しだけ気を付けたポイントがある。
音色を重ねすぎない」ことと、「長くしすぎない」ことの2点。

前回の駅メロアレンジは、曲への思い入れが強すぎて、後半にいくにつれて"駅メロの音色を使った楽曲コピー"と言うべき代物に成り果ててしまった。
『さようならのパレード』は20秒もある。長い。私としては、10秒前後が至適だと思っている。

ということで、今回はあっさりめかもしれない。
その分、19駅を通して、飽きないようにアレンジを加えたつもりだ。

 

先述のブログでも挙げたように、駅メロ"風"の作成には以下が重要だ。

・ 10秒で「あっ、この曲」と思わせるフレーズを選定する
伴奏パターンは空間的な広がりを意識する
・ 意外性のある終止を盛り込む
・ 音数を出来るだけ減らして、ぼやけないようにする
・ 厚みを持たせるために、メロディの一部を伴奏パートが受け持つ
輪唱のようにフレーズを重ねて繰り返す
・ 音量を揺らして波のような聴覚効果を生み出す

こういったところに着目して聴いていただくと、新たな発見があるかもしれない。

 

 

では行こう。WUGちゃんと楽曲制作陣への愛を込めて。

出発進行!

 

 

 全曲解説


27. お約束たいそう(作編曲:久下真音)

オォゥ血が滾るぜ。
WUGライブ名物、お約束たいそう。原曲の、良い意味で「大人を小馬鹿にしたような」お気楽な雰囲気を損なわないように伴奏を作った。

ほらほら……脳内で田中美海が踊り出し分裂しているだろう……

発車メロディでは『第三の男』が同じ雰囲気を持っている。
左がズンチャ、ズンチャ、のパターン。メロディは2:1の跳ねるリズム。
帰宅時に聴けば、歩行は自然とスキップになり、ヱビスビールを買ってしまうこと請け合いだ。通勤時に聴くのはちょっとやだなぁ。

www.youtube.com

 

28. リトル・チャレンジャー(作編曲:田中秀和(MONACA))

リトチャレは、力強くがむしゃらな若さを感じる、駆け出しI-1の決意の曲。
ただ駅メロにそれをぶつけてしまったら、熱血サラリーマンがウオォォと雪崩れ込み、発車間隔の狭い山手線は容易に玉突き事故を起こしてしまうだろう。

ここは、静かにひしひしといこう。Fuyu(ベルのような音色)を選択した。
しかし! 闘志は出したい!
というわけで、伴奏が間延びしてしまう4拍子から、メロディが詰まって緊迫感のある6/8拍子に変更した。
更に、最終音をDm7-5に差し替えて、次へと繋がりそうな浮遊感を残した。

リトチャレは何回聴いたか分からない。そして聴くたびに自分を奮起させてくれる、稀有な曲である。

f:id:I_verum43:20211212144131p:plain

前も似たようなこと言ってる(『WUG関連楽曲解説』)

 

29. シャツとブラウス(作編曲:広川恵一(MONACA))

シャツブラは王道アイドルソングであり、展開も単純である。
最初はごくシンプルに作ってみたが、そうするといまいち物足りなかった。

そこで「伴奏とメロディを上下入れ替える大作戦」。
譜面のように、途中でメロディがアルペジオの下に潜り込むようにしている。ダイナミックさが出たような気がしない? するよね? ね?

例のごとく、最終音はD♯m7/G♯と転調し洒落っ気を出してみた。

f:id:I_verum43:20211212153034p:plain

メロディのオクターブ移動に注目

 

30. あぁ光塚歌劇団(作編曲:高橋邦幸(MONACA))

曲だけ聴けば華やかな、メタ的な視点からみればコミカルなこの曲。
切り出すなら、タイトルを歌い上げるこの部分が一番分かりやすいだろう。

ところで、駅メロでは伴奏が分散和音になることが多い。
今回は、曲の華々しさを金物楽器のアタックで印象付けるため、強拍の重音としている。

冒頭のアウフタクトには重音を付さないことも考えたものの、やや出し抜けに聞こえたのでこのようにした。

 

31. DATTE(作編曲:広川恵一(MONACA))

演歌なので和風感を漂わせようと、KinzkHarpという撥弦の音色を使って琴っぽさを出してみた。雑な発想である。
伴奏は、1拍単位のリズムパターンにはせず、オクターブを使った鷹揚な運びとした。こうしておくと、メロディとの嚙み合わせも悪くない。

f:id:I_verum43:20211212182442p:plain

DATTEの伴奏パターン

締めは、前回『恋で?愛で?暴君です!』にも利用した、『Water crown』のトリル。これを聞いて「駅メロっぽい!」と感じる方も多かったようだ。今回も入れちゃえ、ってことで。

『Water crown』

 

32. ジェラ(作編曲:田中秀和(MONACA))

これは『素顔でKISS ME』と同様の発想で、強さのあるイントロを選択した。
テンポアップするアウトロ部を持ってくるというやり方もあったのだが、メロディのキレが無くなりそうなのと、何の曲かイマイチ分からなくなりそうだったので避けた次第。

完成したものを聴いてみると、同じ音が細かくない音価でカンカンと打ち鳴らされ、回転灯のように迫ってくるイメージがある。最後のaugも硬い感触。注意喚起系の発車メロディとして適していそうだ。

 

33. 運命の女神(作編曲:広川恵一(MONACA))

めちゃくちゃ好きな曲なので、本当に悩んだ作品。
イントロはブラスセクションが無いとパッとせず、Aメロは間延びし、サビ前にするとぶった切れ感が出てしまう。
サビ……にしても、頭は〈こっちでしょ こっちでしょ〉の同形。となればサビ後半だ。

ここは大胆にリハーモナイズし、dimの物悲しい空気も出してみた。
音色でやや丸みを出してぼやかしているものの、前駅の『ジェラ』からの緊張感を引き摺る感じだ。

 

34. レザレクション(作編曲:帆足圭吾(MONACA))

メタルは作りにくいのだよ。エレキの音圧で厚みを出しているから、このJR-SH風の音ではスカスカになっちゃう。多分デフォルメのちびキャラになっちゃう。SDキャラに「ふっかつだ!」と言われてもな

イントロに使いやすいフレーズがあってよかった~。原曲通り使わせていただきました。

 

35. ハートライン(作編曲:睦月周平

一般販売されていない楽曲ではあるものの、ここに入れた理由は、前3曲が張りつめていたからである。
もし電車に乗っていてジェラ駅→運命の女神駅→レザレクション駅と通過していたら、どんどん心が締め上げられて、次の駅でもマイナーキーのドギツい曲が来たが最後、緊急停止ボタン押下やむなし、となりかねなかった。危ない。

 

※これは本当に本筋に関係無いんだけど、「押下」という熟語の起源について面白い記事を見つけたのでシェアしたい

blog.statsbeginner.net

 

『ハートライン』は曲全体を通して温かみ1000%LOVEで出来ているので、そんな心配はなくゆったり心を溶かしていただける。
だけど、さすがにそれだけではまったりしすぎて、ハートライン駅のホームにいる人は乗り遅れてしまう可能性がある。最終音はぴりりと辛い、♯11thに仕上げた。

 

36. プラチナ・サンライズ(作編曲:高橋邦幸(MONACA))

ここからはライブ書き下ろし曲。

この曲で一番かっこいいのは言わずもがな、2人のハーモニーが轟くサビ終わりの〈プラチナ・サンライズ〉だと思うのだが、そこに負けず劣らずで、〈私たち出逢った〉のユニゾンも良い。
そこを拝借することにして、駅メロあるあるのアルペジオ伴奏を当てる。音程が下からメロディの高さへ近づいていくにつれ、音量も上がっていくのも常套手段だ。

 

 

f:id:I_verum43:20211212224446j:plain

もやごぼはウクライナって一生言ってる

 

37. セブンティーン・クライシス(作編曲:広川恵一(MONACA))

原曲には存在しない完全四度下のハモりを入れてある。大きい音で入れたら気持ち悪い感じになったので、うーっすら入れてある。それでも割と違和感があるかも。

更に締めの3和音だが、構成音はただのマイナートライアドながら、転回しているためオンコードのような聞こえ方をするはずだ。迫ってくるものがある。クライシスだからしょうがないね(?)

 

38. outlander rhapsody(作編曲:永谷たかお

披露の機会が少なかった曲ゆえ、分かりやすくサビ頭のワンフレーズを拝借した。
サビ頭から4小節取る場合、結び方は考えなくてはならない。完全にサビの途中なので、無理やり解決しないといけないからだ。
ただ、駅メロの場合、無理やり解決することには長けている。

今回は、Ⅰ→Ⅶ→♭Ⅵから、→Ⅵと見せかけての♭Ⅶ(=D♭)。メロディはi(=E♭)なので9thを香らせてはいるが、構成音を下からなぞるとD♭・G♭・B・E♭であり、B/D♭とでも言うべき疎な並びとした。

前言撤回。まるで解決していない。

f:id:I_verum43:20211212232729j:plain

これは三菱アウトランダー

39. タイトロープ ラナウェイ(作編曲:永谷たかお

披露の機会が少なかった曲ゆえ、分かりやすくサビ頭のワンフレーズを拝借した(2曲連続2回目)。

伴奏はヴィブラフォンのファンを回しているような残響を手動で作っている。手動クオリティには目を瞑ってほしい。敢えてだから! 多分地下で聴いたら響くから! 新日本橋とか!

 

40. Knock out(作編曲:田中秀和(MONACA))

誘惑に打ち勝った一曲。

まず、選択できる箇所は割とたくさんあった。イントロは音を伸ばしている裏で縦横無尽に駆け巡るアルペジオがあり映えそうだ。Aメロは途中で切っても違和感が無い。
悪魔が囁く……「間奏のサックスソロやっちまえよ」と……いやいやさすがにやりすぎだろう……。
そんな中でサビ後半を選択したのは、ベースの下行形が一番駅メロっぽかったからである。

この場所を選んでなお、囁きは続く。「音変えちゃいなよ」と。
曰く、ユニゾンの〈Knock out〉と、ソロ歌唱の〈右のBRAIN〉では、音色を変えた方がいいのではないかという悪魔の提案である。
しかし私には、前作の駅メロWUGで、原曲を再現したいがあまりに音色を使い過ぎた苦い思い出がある! ウオオオオ!(悪魔を押し退ける気合い)

結果、音色は変えずに、オクターブを変えるという作戦で見事異なる雰囲気を出すことに成功した。よかったね。

 

41. 止まらない未来(作編曲:広川恵一(MONACA))

今回、多くの広川I-1曲を弄ることになり、苦心、難渋するだろうなと思っていた。
『止まらない未来』もそのひとつ。洒落たコード運びとシンコペーションが矢継ぎ早に繰り出される。『止まらないお洒落』に改名したらいいと思う。だが、お洒落は駅メロでは使いにくい。

それでも使いたい場所は決まっていた。〈泣いたり 忙しい〉。このD♭M7の解放感は何物にも代え難い。

なんとか重音と分散和音のバランスを取りつつ、単一の音色でまとめた。最後の和音は、上でFm7を鳴らしながら、分散和音の最低音でD♭を押えているので、実質D♭M7(9)である。意外と上手くいったのではないだろうか。お気に入り。

 

42. 同じ夢を見てる(作曲:吉田詩織、編曲:久下真音)

しんみりさせたかったので。
これ多分誰がアレンジしてもこんな感じになるんじゃないかな? 最後をアルペジオにするか同時に鳴らすかは好みが分かれるだろうが、光がスパーンと弾けるような感じにしたかったから、同時とした。

f:id:I_verum43:20211213005719p:plain

「光がスパーン」のイメージ(https://w.atwiki.jp/radio_tan/pages/13.html

 

43. 君とプログレス(作編曲:広川恵一(MONACA))

原曲のシンコペを丸ごと全部潰してジュースにしちゃいました……ではなく8分音符に均しちゃいました。
なぜか。
曲の雰囲気から、伴奏を『タイトロープ ラナウェイ』でやったような手動ディレイにしようと思っており、そうすると、音価が長くてちょっとだけダレるメロの部分がある。下図の赤丸。本当に僅か、16分音符一個だけなのだが、この空白は無い方がよいと感じた。

f:id:I_verum43:20211213011508p:plain

上が原曲、下が駅メロアレンジ

ここは、原曲を崩して、音価を8分音符に統一することを考えた。全体的に均質になり、何者にも染まらない新生I-1clubの清澄さを思い起こさせる。

 

44. Jewelry Wonderland(作編曲:広川恵一(MONACA))

Jewelryのタイトルに恥じぬよう、一級品(ハイエンド)のキラキラ音色を目指した。
必殺、敷き詰め分散和音。このように、残響を引く音色を用いて32分音符まで細かくすると、コード感を出しつつも隙間無く音で満たすことができる。
加えて、音量を少しだけ変動させて、波打つような聴覚的効果を狙った。

原曲の好きさも相俟って、自分が住むならこの駅の最寄りがいいなぁ……、と思っている。

 

45. カケル×カケル(作曲:神前暁(MONACA)、編曲:広川恵一(MONACA))

RGRの曲で終着としよう、とはじめから決めていたのだが、はて、どこを取るかがまた難しかった。
当時の彼女たちが曲にぶつけていた清々しい真っ直ぐさを出すならサビ……、だろうけど、駅メロにすると変に綺麗になりすぎてしまう。
むしろ少し落ち着いたところを、という意識でDメロに手を掛けた。

原曲には無いおかずをちりばめ、最後のⅢの上にも7thを放り込んでみた。
このカウンターがちらちら顔を覗かせている構成も、耳を引く必要がある駅メロならではの発想といえる。

(そんなに似てはいないけど、溜池山王オリジナルBを好きな影響が出ている気がするな)

youtu.be

 

ともあれ、『カケル×カケル』の原曲を知っている人は「あっ!」となり、知らない人にも「スタイリッシュなメロディだな」と思ってもらえる、良い塩梅に落ち着いたのではないだろうか。

 

当線はここが終点。ご乗車ありがとうございました。

ちょっとこの童謡・唱歌・歌曲を聴いてみてね4選

イルリキウムです。

 

本エントリは、音楽トークと互いの人間関係エピソードを肴に酒を吞み交わす我が朋友・なまおじ氏が主宰する「楽曲オタク Advent Calendar 2021」第8日目の記事である。

adventar.org

 

 * * *

楽曲オタクといえば、常にサブスクを巡回して新曲をディグったり、好きな作曲家の曲を片っ端から収集したり、といったイメージを持たれるかもしれない。

しかし、私はそうした努力を放棄し、楽曲語りオタク一辺倒のスタイルを貫いている。

それは、楽曲を多角的に深掘りして解析し、どこが自分の性癖であるかを詳らかに言葉とする営み。

今年も、いくつかの楽曲語り記事を公開した。

 

i-verum43.hatenablog.com

i-verum43.hatenablog.com

i-verum43.hatenablog.com

 

ここが好き! 好き好き好き!」と言っているだけの記事で、全く学術的な知見に基づくものではないのだが、こうしたエントリに反応をいただける場合がある。時には、作曲者本人から。

なまおじ氏の指摘を思い出す。

 

非常に私的な音楽語りが、音楽の聴き手にはもちろん、時には作り手にも共感を呼び、果ては誰かと心のつながりを感じられることさえある

note.com

 

その”心のつながり”を広げていくために、今日も楽曲語りをしようではないか。

良い曲をたくさん発掘してくれる、慈愛に満ちたブログの管理人のみなさん。これからもよろしくお願いします!!!(他力本願)

 

 

なんで急に童謡を?


私は小児科医として病院に勤務をしているのだが、病棟なり外来処置室なりで、こどもの気を引くために映像や音楽を流すことがよくある。

ふと、映像をじっくり見てみた。

アンパ○マンさんが、ばいきん○んさんと仲良く歌っている。

 

〽 しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ

f:id:I_verum43:20211204234325p:plain

やねまでとんで こわれてきえた

 

……良い曲だなぁ~~~。

そう。童謡や唱歌には心を打つものが多い。小さな頃に見た情景を思い起こさせる。
「日本人が普遍的に持つ感覚」なるものがあるとすれば、その形成には、こうした"共通の音楽体験"も大いに寄与しているだろう。

 

分数augとかアッパー・ストラクチュア・トライアドとか複雑怪奇な和音で脳味噌をとろとろにしているそこの私!

最近、ヒューマンビートボックス、ループステーション界隈の曲をよく聴いてブチ上がっているそこの私!

 

童謡の良さを思い出せ!!

 

こうして私は懐かしの童謡を聴き漁るに至ったのであった。

本記事では、令和の音楽で耳の肥えたみなさんにも満足いただけるであろう童謡・唱歌を4曲ご紹介する。

 

 

「童謡」と「唱歌」と「歌曲」


気になる方のために、先に言葉の話をしておく。適宜読み飛ばしてほしい。

何となく似ているこの3つの言葉、まあまあ混同されがちなのだが、表す範囲が異なっている。特に「童謡」「唱歌」には重なる部分が無いと考えて差し支えない

 

以下、足羽章編『日本童謡唱歌全集』より引用する。

唱歌」とは、明治5年、わが国に学制が頒布されてから、大正7年鈴木三重吉の「赤い鳥」によって「童謡」という言葉が用いられ、その創作運動がおこるまでの子供の歌すべてと、それ以後の文部省著作および民間会社編著制作による教材用曲をあわせたものの総称、といってほぼ間違いない

唱歌」は、"徳性の涵養と情操の陶冶に資する"ことが目的とされていたため、内容がカタかったり文語調であったりする。

しかも、唱歌のひとつである「文部省唱歌」は、国が作った、という体裁ゆえに、作詞作曲者は不明。真の作詞作曲者は闇に葬られていたのだ。なんてこった……。
(※後世になって作詞作曲者名が記載されはじめたパターンも多くある)

一方で、「童謡」の発想はもっと柔らかい。こども本来の感性や楽曲の芸術的側面に重きを置いている。

 

「歌曲」というのは、主に独唱の発表用の曲、といった意味合いの言葉である。
もともと歌曲として作られた曲も多いが、一部の童謡や唱歌は歌曲に含めてもよいだろう。

 

 

それでは曲紹介


詞・楽譜はすべて、

足羽章編『日本童謡唱歌全集』ドレミ楽譜出版社 (2014)

伊藤玲子『日本歌曲選集』ドレミ楽譜出版社 (1984)

に掲載されているものを用いている。

 

 

 * * *

① 待ちぼうけ (作詩/北原白秋、作曲/山田耕筰

youtu.be

 

まずはこの曲。1924年満州唱歌集』内で発表。

中学生のころ、伴奏を弾く機会があったのだが、曲としての美しすぎる出来にあまりに衝撃を受け、以来、もし「一番好きな唱歌は?」と訊かれたときはノータイムで『待ちぼうけ』と答えることにしている。しかしまずそんなこと訊いてくる酔狂な輩はいない。

 

詩は、中国の故事「守株」を素材にしている。漢文の授業で学習した方も多かろう。

ざっくり言うと、

 『たまたま、切り株に躓いて死んじゃったウサギをゲットできた人が、
  またウサギ来ないかな~って切り株のところでひたすら待ってたんだけど、
  やっぱりそうそう来ないよね。ばぁか♡』

みたいな話である。

[参考] NHK高校講座 国語総合第19回 ラジオ学習メモ「守株」
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_kokugo/archive/2017_kokusou_19.pdf

 

故事なので、内容は含蓄に富み、ある意味説教的だ。
しかし、曲は非常にリズミカルで楽しげに展開する。5番まであるため、演奏者の解釈で起伏をつけることがしばしばみられ、物語一篇を通して読んだ気分にさせられる。

 

この曲のヤバいところは、「階名ドで始まらず、階名ドで終わらない」ところだ。
【ミソソーソー】と始まり、【ドーソミレーミー】で終わる。
こどもたちの歌うような曲なんだから超単純でシンプルな曲しかないと思った? 残念! 西洋音楽を操り倒し、自身の名を"Kósçak" Yamadaと表記した山田耕筰の作品は、一筋縄ではいかない。余談だが、ドーソミレーミーはとても歌いにくい。

ドで始まらない童謡・唱歌はそれなりにあるが、ドで終わらない曲となると珍しい。
『待ちぼうけ』は、ミ始まり、ミ終わりの、世にも珍しい作品なのである。

ちなみに、彼の代表作『ペチカ』も、ミに始まりソで終止する。『この道』に関しては、2拍子と3拍子がくるくると入れ替わる変拍子曲だ。

さすがKósçak。痺れる。

 

工夫の凝らされた伴奏にも着目したい。

〈待ちぼうけ 待ちぼうけ〉の間を埋める装飾音符がある。可愛らしさを添えているが、〈そこへ うさぎが〉のところで、再度この装飾が出てくる。

2箇所を比べてみよう。

f:id:I_verum43:20211206202301p:plain

〈待ちぼうけ〉の方は、語感と意味ののんびり感を表現するように、右手もテヌートでのっぺりしている。

〈そこへ うさぎが〉に来ると、〈待ちぼうけ〉と同じ【ミソソソ】のフレーズが、1小節にふたつ分現れる。呼応するように、装飾も二倍出現しているのが分かるだろう。ウサギがぴょんぴょん跳んで映像的に動きが出てくるのを、効果的に表現している部分といえるのではないか。

直後の〈ころりころげた〉の伴奏は、うって変わってトニックの広い分散和音となる。起承転結、でいうにあたるところで、聴き手の集中を引き戻す効果がある。

これだけの短い曲に、多くの展開と仕掛けが盛り込まれているのだ。

いや~~、世紀の名作っすね。

 

 

② アイスクリームの歌(作詞/佐藤義美、作曲/服部公一)

youtu.be


続いては、戦後の1960年に大阪朝日放送で発表されたこちら。
この曲の神髄は、中間部のオシャレな転調と、佐藤義美の精緻な言葉選びにある。

当時は、アイスキャンデーは普及していたものの、アイスクリームとなると本当に「めったなことでは食べられない」奢侈品であった。

曲では、そんなアイスクリームを、「王子様や王女様も食べられなかったけど、自分は食べちゃうんだ……」と感動を湛えて口へ運ぶ姿が描かれる。そして口に入れた後の賑やかな情動を「喉を音楽隊が通る」と表現するのだ。

音楽隊は〈プカプカドンドン〉〈ルーラ ルラルラ〉〈チータカタッタッタッ〉と様々に楽器を鳴らし行進していく。この擬音と、共に行われる転調が、曲をいっそう表情豊かなものにしている。

 

よく、「〈ぼくは王子では ないけれど アイスクリームを めしあがる〉という歌詞は、尊敬語の使い方を誤っている」という指摘がみられる。

 

なるほどなるほど。よく敬語を勉強していますねぇ~

…………。

 

そんな野暮で的外れなツッコミをする人間は一生アイスクリームを召し上がらないでいただいていいですかぁ~!?(キレやすい若者)

 

『アイスクリームの歌』は童謡である。童謡というのは、こどもの心象風景を表したものである。決して、こどもの教育を主眼に書かれているわけではない。

アイスを食べたこどもが「王子さま気分で」いるのであれば、自分に対して尊敬語を使っている姿は全く誤りとはいえない。むしろそれが、等身大のこどもの姿をこどもの目線から表した詞だ。なんとも可愛らしいではないか。

「アイスクリームを"いただく"」なんて言い出してみろ。全然可愛くないやろがい。「ところてんを三杯酢でいただく」とでも言われてる気分じゃい。

 

※ 同様の言及がこちらの記事でなされている。やっぱそうだよね
「アイスクリームの歌」佐藤義美の矜持 (big.or.jp)

 

さて。先頭に載せたyoutube動画は『日本童謡唱歌全集』のものと同じ伴奏で演奏されているが、何度聴いてもこのバージョンのピアノ伴奏、シャレオツを極めている。

・前半の〈おとぎばなしの~〉では2小節目にあった付点の伴奏フレーズが、後半の〈ぼくは王子では~〉では3小節目に移動している

・〈舌にのせると〉は全体としてⅤ7だが、左手が半音でゆらゆら動いて♭vを鳴らすため、#11の響きをもつ。甘い。

・クロージングヴォイスはM7(13)! あまーーーい!!

ちなみに、こうした付点主体のリズム=西洋菓子、のイメージは、湯山昭「お菓子の世界」という曲集にも見て取ることができる。ピアノに心得のある方には全員におススメできるソロピアノ集だ。

f:id:I_verum43:20211206213802j:plain

「クッキー」「マロングラッセ」「鬼あられ」などあらゆるお菓子を網羅している

更に、これはちょっと本筋からズレるが紹介したい。
東京事変の男性メンバー4人による、"大人の"『アイスクリームの歌』。最初聴いたとき、えちえちすぎてぶっ倒れるかと思った。絶対アイスにウイスキーかけてんな……。

youtu.be

 

 

③ わらいかわせみに話すなよ(作詞/サトウハチロー、作曲/中田喜直

youtu.be

 

1954年発表の作品。

中田喜直は恐ろしいほどの多作で知られるが、歌詞とメロディがいかに合致しているかという点には心血を注いでいた。
何せ、『君が代』に対して「歌詞が短いのにメロディが間延びしていてひどい曲だ」と酷評を突き付け、自分で歌うことはなかったというのだから、筋金入りである。

サトウハチローによるコミック調の歌詞に、そんな喜直渾身のメロディが付されているのがこの楽曲だ。

 

ポイントは、〈わらいかわせみに話すなよ〉と〈ケララケラケラ ケケラケラ〉の対比。実際に「おい、マジでアイツには話すなよ」とひそひそ話をしている姿が、そして、ワライカセミがケケケと鳴いている姿が目に浮かぶような構成に目を瞠る。

〈かわせみに話すなよ〉の部分のメロディは順次進行で滑らか・物静かな一方、〈ケララ ケラケラ〉のメロは【ドララ ドラドラ ドドラドラ】と跳躍する。
〈ケ〉は【ド】、〈ラ〉は【ラ】に当てられて、歌詞に合っているのも特徴的だ。

伴奏は、〈わらいかわせみに~〉の和音【ソラドレ】が面白い。構成音はD7sus4だが、ルートにGが来ているので、Gsus2+sus4のような響きで3rdを欠くため、無調に聞こえる。歌詞にぴったりだ。天才の所業。思いつかんわ。

 

ワライカセミ(laughing kookaburra)という鳥は本当にいる。
この曲のせいで、人の知られたくない一面を聞きつけてせせら笑うという嫌味ったらしいキャラがついてしまったが(?)、そんな性格の悪い鳥ではない。多分。鳴き声は縄張りの主張だっていうし。

f:id:I_verum43:20211206225457j:plain

きゃわたん

なお、種小名のnovaeguiniaeには「ニューギニアの」という意味しかないので、学名には"笑い"という意味が全く含まれていない。ちょっと残念。

 

 

④ お菓子と娘(作詞/西條八十、作曲/橋本國彦)

youtu.be

 

1928年発表の作品。歌曲であり、ほんのり大人向けである。

冒頭から煌めくようなアルペッジオ。下っていく中で、単純にC MajorのダイアトニックコードであるBm-5とするのではなく、Bmとしているところがキラっと耳に残る。

曲が進んでいくにつれてピアノのパッセージはどんどん細かさを増していく。ラヴェルなどを想起させるような……。

 

それもそのはず。橋本國彦は留学先こそウィーンであったが、その後に出会ったフランス留学帰りの詩人から影響を色濃く受け、印象主義の音楽にのめり込んでいたのだ。

八十は八十で、パリ在住時代の景色を詩に残している。このタッグは必然だったというべきか。

 

詩は4つの段落に分けられる。

だが曲は、明確に1~4番に分かれているわけではない。メロディは、年頃の女の子の気分のように少しずつ音型を変えていくため、同一フレーズの繰り返しが存在していないというわけだ。

f:id:I_verum43:20211207193711p:plain

各段落の冒頭のフレーズを示したもの

実際に「お菓子の……」「選る間も……」と発音し、音程と比較してみると、見事に上下動が単語の高低と一致する。日本語は高低アクセントであり、歌曲におけるアクセントと音程の一致は、曲を自然ならしめる要素といわれているのだ。

メロを固定した結果、音程不一致を引きおこすのではなく、音程一致となるようにメロを流動的にする。これは、多くの佳作に共通して用いられている作曲手法である。

(註:決して「音程不一致」の曲を不自然なものとして切り捨てているわけではない)

 

〈ボンジュール〉〈エクレール〉〈ラマルチーヌ〉などの横文字を効果的に用い、付点を適度に放り込む(譜例の赤丸部分)ことで瀟洒な雰囲気を湛えているところが憎いね……!

メロディが大好きな曲なので、子供向けの作品ではないものの、選出した次第だ。

 

 

おわりに


誰もが子供の頃に何かしらの童謡を口遊んでいただろう。今も歌える曲がたくさんあるに違いない。

普段音楽を聴かない人にも、耳の肥えた楽曲オタクにも、等しく心に刻まれている曲があるならば、その曲こそ、"心のつながり"を生むきっかけになり得る曲ではないだろうか。

本記事が、童謡・唱歌・歌曲を見つめ直すきっかけになれば嬉しく思う。

 

では、また来年の楽曲語りで!

MOSAIC.WAVの『片道きゃっちぼーる』を知ってほしい

イルリキウムです。

 

 

私にとって、

胎児~乳児期の心の故郷がモーツァルト

幼児期の心の故郷がビートルズであるならば、

学童期~中学生時代の心の故郷はMOSAIC.WAVといって間違いない。

今までの音楽歴がなんだったのかと思うほどの急ハンドル。無免許運転。3年以下の懲役又は50万円以下の罰金(道交法第117条の2の2)。

お笑いが好きな私は、よく「この2人が人生のどこかで出会ってくれてコンビを組んでくれてよかった……本当によかった……神さまありがとう……」と天に手を合わせることがあるものの、最もコンビを組んでくれてよかったと思えるのは柏森進氏み~こ氏であることに、議論の余地は1オングストロームも無いのである。

 

言葉の意味を大切にして紡がれた歌詞に、心を動かされること数知れず。

こちらを否応にノせてしまう合いの手とキメのパッセージのパターンもアンカウンタブル。この世に存在するカッコいいキメを使い尽くしているのではないかと感じてしまう。

かやぴの前衛的でテクニカルな音色選びのセンス、キャッチーなメロディメイカーとしての手腕は、「電波ソングアキバポップ作曲家」という言葉に押し込めてしまうにはあまりに勿体ない。

そしてみ~こ様ヴォイス。音程の無い"台詞"と、音程のついた"歌"とを、あれだけシームレスに聞かせる人間は他にいない。下手に抑揚をつけたり情感を込めたりしないその塩梅も絶妙であり、誰かがカヴァーしても、み~こ様の声でないと満足できない体にさせられている。

 

 

Q. MOSAIC.WAVで一番好きな曲は?


 

なぁにその質問???

 

無茶である。決められるはずがない。好きに明確な順位をつけるほど困難なことはない。

苦し紛れに、「お前の頭からMOSAIC.WAVの曲の記憶を1曲だけ除いて消してやる、と言われたらどうする?」という質問に置き換えてみる。

 

……そしたら『めがねでねっ!』だわ。

眼鏡属性のアンセムだもん。めがねしーてっ めがねしてっしてっ

めがねでねっ!

めがねでねっ!

  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 

さてこの無理くり捻り出した質問を、「MOSAIC.WAVで一番人に聴いてほしい曲は?」と変えてみる。

All Last One Chance!』や『ようこそ!ヒミツの雀バラや!?』など、麻雀用語を散りばめた言葉遊び溢れる楽曲にドハマリする友人もいるだろうし、

キミは何テラバイト?』『電気の恋人 /* I am Programmer's song */』といった、電脳世界で生きてきた我々のノスタルジィを刺激する楽曲に涙する友人もいるだろう。

 

 

本稿は、この質問に対して「それなら、『片道きゃっちぼーる』を聴いてほしい」と答える、イルリキウムによる楽曲語りである。

作詞・作曲:柏森進

片道きゃっちぼーる

片道きゃっちぼーる

  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

(※2021年9月19日現在、本邦のApple musicとSpotifyでは配信していないようだ。少なくとも私のデバイスではプレヴューしか出来なかった。レコチョクでは聴けた。ちなみにリンクは貼らないが、動画共有サイトには上がっていた。興味があったらCDをぜひ!)

 

 

 

楽曲の背景と魅力語り


◆背景

『片道きゃっちぼーる』は、御形屋はるか(おがたや、と読む)さんの4コマ漫画『ぽてまよ』がアニメ化された際のOPテーマである。2007年リリース。

GYAO! で2022年3月末まで無料配信しているようなので、とりあえずこのOP映像だけでも見てみような。な。大丈夫。事前知識なくて大丈夫だから。マジ泣いちゃうから。マジで。

gyao.yahoo.co.jp

 

なお、片道きゃっちぼーるの歌詞は、この作品の内容を加味すると納得のいく部分も少なからずあるのだが、今回はあまり突っ込んだ話はしないでおこうと思う。

 

 

◆タイトル

キャッチボールは、よく「会話」を喩えるのに使われる。

相手から投げかけられた球の道筋を見極めて捕りに行く。こちらが投げるために握り直す。そして相手が捕れるようなボールを返す。

なるほど、"会話のキャッチボール"とはうまく言ったものだ。

 

それが「片道」なのだから、片方から投じられたボールは、ちゃんと戻ってこないのだろう。受け取られていないのか、相手の返球がとんでもないのか……。

とにかく、「コミュニケーションがうまくいかないなぁ」という気持ちを、このタイトルからだけでも想定することができる。

〈きゃっちぼーる〉を平仮名にすることで柔らかさと可愛さが出ているが、〈かたみちきゃっちぼーる〉では頭が弱すぎる。漢字を残すことで、複雑な心情の機微をバランスよく表現しているように思う。

タイトル大賞2007獲ってるでしょこれ。

 

◆0:00~ イントロ

まずは、小さな生き物がてちてちと歩いてくるときの効果音のような、「トゥーウィッ トゥーウィッ」という音がフェイドインしてくる。

かわいい~、と思っているところで、重めのキックが4拍。ただし、「ドウゥン」というような沈み込む音ではなく、「ドゥクシッ」ってな感じの軽妙さを含んだ音色だ。
まだ音程楽器は出てきていないが、この4発が、あっという間に聴き手を曲世界に誘う。

 

続くイントロ。メロディよりもリズムを主体にしており、MOSAICが得手とするキメを存分に押し出している。

重要なのは、1, 3小節目の頭にアタックがあることと、残りの箇所はほとんど裏拍を打っている点である。後ろで半音の上下動があるので既に楽しげな雰囲気があるが、裏打ちのノリがそれを後押ししている。

f:id:I_verum43:20210919154924p:plain

 

直後、勢いのままにAメロに入るのではなく、「トゥーウィッ トゥーウィッ」を1小節だけ挟むのが憎い!

ここでクールダウンして、落ち着いた空気の中で歌が始まっていく。

 

 

◆0:12~ 1A〈ドラマのように〉

トニックで開始するAメロ。イントロからAメロへはファイブワンの構造で繋がる。
一方メロディは、階名で【"シド"シソーーミファソ】と始まる。
イントロのドミナントからAメロのトニックへ、ソラシド、と上っていくイメージに寄り添っている。

 

「噛み合った会話=台本としての会話」という発想は、意外なところに源があった。

 

アンガールズありがとう。おかげで名曲が生まれている。

 

◆0:35~ 1B〈ズレたままで〉

Bメロからは上の音域にコーラスが入ってくる。また、このコーラスはセブンス【ⅣM7→Ⅲm7】をなぞっており、はっきりとコードの重層感が立ち現れてくる。

こうして、曲に厚みとスムーズさを持たせる一方で、コーラス自体も細かく裏打ち(2, 4小節目)をして、リズミカルさを失わないように配慮されている。

メロディを見てみよう。

f:id:I_verum43:20210920094759p:plain

似たパッセージが繰り返されるが、赤線の箇所は僅かに変化している。

特に前半の〈ままで〉と〈糸は〉の箇所は、休符の位置が移動してシンコペーションが変わっている。変えなくても曲に大きな影響は無いのだが、マンネリを避けるために敢えて変えている、と私はみている。

〈強くて〉のところも、4拍であることを考えれば、上の〈なるもんね〉と同じ音型でよさそうである。逆に、下の音型では音が3拍に減るので、〈つよ〉が1音に押し込められる形となる。そうなってでも、ここは音型を変えて、続く〈長いけれど〉の前に1拍の休符を置きたかったと考える。

加えて、〈つよ〉を1音に詰めることによるメリットもある。細かい、拍にきっちりハマらない"装飾音的"効果が生まれ、耳のスパイスになるのだ。

……これ、ぜひ2番まで聴いてほしいんですよ。お待ちあれ。

 

〈結び方"は"〉の部分は、♭Ⅶにメロディが9thで乗ってグッと来る運びになっている。サビに向けてテンションが上がる素敵なメロディワーク!

 

歌詞を見てみる。

〈ズレたままでわりとなんとかなる〉。これはこの曲を通して訴えられている内容に繋がる。

それは、「コミュニケーションがうまくいかない、けど、別にそのままでいいんじゃない?」という受容。これに気付く第一歩となるアイデアがここで歌われているわけだ。

相手との認識のズレや、考えの齟齬。それを気にして生きるのは辛いものだが、そんなものはあって当然のものとして、受け入れて包み込んでいく。

そうした包容力の香りを、ここから本楽曲は漂わせる。

 

〈赤い糸は今は前より強くて長いけれど〉。

赤い糸というキーワードが出てきた。特別な結びつきを想起させる、"わかりやすい"アイテムである。

これを、単なる一般名詞の「糸」として捉え直す。当然、結びつきが強いことは、「糸が強い」ということになるだろう。より離れていても繋がりを感じられる、と考えれば、「糸が長い」という表現にもなる。

それでも、〈結び方はよく分からない〉のだ。

赤い糸は結ばれなければ意味がない。相手が近くにいて、どんどん仲良くなっていって、強くて長くなっても、結ばれないならば完全なものにはならない。これこそが、〈ズレたまま〉の状態だ。

本楽曲では、〈ズレたまま〉を表す暗喩がこれでもかと出てくるので注意して聴いていこう。

 

◆1:00~ 1C〈るらら ほにほに〉

このメロディ、めちゃくちゃすんごくないですか?

サビは一切メジャースケールから外れていない。複雑さは無い。それなのになんだ、こんなにときめきを喚起されるのは。
本当に、私の中では、「なんでこの歌詞にこんな天才的なメロディ当てられたんですか選手権」の金メダリストだ。〈ほにほに いつも かみあわない〉ってワンフレーズ渡されて、これにメロ付けて、って言われて、【レドレド レドソ レードレソソ↓】っていける? いけなくない??? ヤバくない????

〈るらら ほにほに〉と浮ついた間投詞は隣接した全音の移動。〈かみあ"わない"〉というクリティカルなワードは8度跳躍で印象づけ。

凡百のメロディはオクターヴの下行跳躍をこんなに効果的に使えない

 

※ちなみに〈ほにほに〉とは、『ぽてまよ』に登場する不思議生物「ぽてまよ」が発する言葉(?)である。歌詞の上で、彼女が発している言葉、と捉えてもよいかもしれない。

 

メロディもさることながら、ベースラインにも複雑さはない。メジャースケールを134562451、と動く。いやぁ……、私は複雑な音型が好きなはずなのに、めちゃくちゃ感じちゃうな。悔しいほどだ。

満足感の源泉は、ヴォーカルに2拍遅れでかかっているディレイと、おかずの電子音かもしれない。MOSAIC曲は1度聴いただけでは拾いきれない(何度聴いても無理かもしれない)ほど、裏を埋めている音色が多い。だからこそ、音数が一気に減ったときのメリハリがつくわけなんだな。

 

歌詞。

噛み合っていない〈2人の会話〉を〈コピー&ペースト〉しても、ズレたまま延々と伸びていくだけでズレが解消されることは無いだろう。

ここで〈地軸〉が〈しゃきっとする〉というのは、もともと公転軸に対して23.4度"傾いている"地軸が、2人のズレを合わせると傾きなく立ってしまう、というイメージだろうか。

私は〈プラネット〉が出てくる理由が長らく掴めていなかった(ズレたまま回っていく様が惑星を思い起こさせたからかな、と思っていた)が、2番と合わせるとなんとなく関係性がみえたので、詳しくは2番で。

〈ムリにねじってドーナツになる〉。
一回ねじってドーナツ型に繋げた紙はメビウスの帯を想像させる。果たしてそういう意味かは分からないが、ドーナツにしてしまったらぐるぐると回り続けてどこにも行けない。そうなってしまうくらいなら、〈ズレた世界〉のままで〈今日もおはよう〉と挨拶しよう、と。

 

f:id:I_verum43:20210919193732j:plain

 

この歌詞を、ただ「エモい」とか「哲学的」と片付けてしまうのはあまりに切ない。
一言一句味わうと、「噛み合わなさをそのまま愛する」という、人類、いや、コミュニケーションを取り合え得る存在に対する、普遍的なメッセージを読み取ることができそうだ。

 

◆1:23~ 間奏①

ひえぇ……言うことないっすね……。

前奏のリズムを踏襲しつつ、コロコロとした音色でまとめている。もちろん「トゥーウィッ トゥーウィッ」も健在。

 

◆1:40~ 2A〈「キライ」って言葉〉

〈「キライ」って言葉 やたら使う人は嫌い あふれるパラドックス〉とある。

ところでCohen (1985) によると、この世の"問題"は4種類に分けられる。つまり、

・puzzle:論理的に正解が一つに定まる

・paradox:正解があるはずなのに、直感や常識と合致した答えが見つからない

・dilemma:直感や常識と合致した正解が2つ以上あるが、互いに矛盾している

・riddle:出題者が心に描く答えが正解である(=なぞなぞ)

(参考/三浦俊彦『論理パラドクス 論証力を磨く99問』二見書房、2016)

 

しかし、この「嫌いって言葉をやたら使う人は嫌い」という台詞は、そもそも命題や問題ではない。主観が含まれているからだ。

併せて、この歌詞では「嫌い」という言葉を今のところ2回しか発しておらず、"やたら"使う人、には分類されないだろう。

したがって、この台詞は、厳密に言えば「パラドックス」ではない

だがそんなことは、作詞の柏森さんも重々承知だ(おそらく)。
ここでこの言葉が使われたのは、横文字を適度に配置する作詞の妙である。

〈あふれる自己矛盾〉とか〈あふれる自家撞着〉の方が的確な描写である。だがカタい。センスが無い。1番で〈対話〉でなく〈ダイアログ〉とした理由と同じことである。

 

◆2:02~ 2B〈世界中で流行る〉

また同様に、〈世界中で流行るディスコミュニケーション〉には横文字が採用されている。

それにしても、discommunicationが世界中で〈流行る〉という表現は、凄まじく皮肉に満ちている……、そう思いませんか。

 

この次の歌詞が、私が最も感動した部分。

赤い糸は いまはコンビニで安くて〉。

先ほど出てきたアイテムである"赤い糸"だが、これが"人と人とを結ぶ特別な関係性"を示すものではなく、"ちょっと距離の近い関係"を示す陳腐な存在に成り下がっている、という問題提起なのではないか。

コミュニケーションの齟齬が流行っているのは、それだけ、人と人とが気軽に繋がれるようになったからで、そういう意味で、”赤い糸”も手軽に入手できるものになった、という表現に聞こえる。

いや、仮にそうではないとしても、だ。
〈いまはコンビニで安〉い、という短いセンテンスで「お手頃」という印象を植え付け、それを〈赤い糸〉と連結するのはとんでもないワードセンスである。

 

今度は音楽的な面から。

1番で、〈前よりくて〉の箇所が装飾のようになっているということを指摘したが、2番でも〈くて〉の箇所が同じようになっている。

……よく聴いてください? 本当に同じでしょうか?

f:id:I_verum43:20210919221326p:plain

そう。無声化しやすい母音の関係で、1番では「つくて」の「よ」が伸びていたのが、2番では「すくて」の「や」が伸びている。結果、装飾を含んだシンコペが変化しているのだ! 偶然かもしれないが、この僅かな相違が、この曲を何度聴いても飽きさせなくさせている……!

 

いや~~~や~ばいね~~~

 

◆2:02~ 2C〈るらら ほにほに

歌詞については柏森さんの種明かしをとくと拝聴しよう。

この曲のテーマが、本稿で論じているように「ズレ」「折り合い」である、ということが語られていることも見逃せないが、そこからの連想で、閏年はズレに折り合いをつけている存在」と捉えているのは非常に面白い。

そして、ここで1番の〈プラネット〉〈地軸〉が活きてくる。地球規模、宇宙規模でズレてるんだから、もう私たち人間レヴェルで起こっているズレなんて、気にしなくていいんじゃない? と語りかけてくれているようだ。

 

平均律で祝えば ピアノもきっとぐにゃっとするよ〉。

(十二)平均律とは、オクターヴの間を周波数比できっかり12等分して得られる音律である(正確にはオクターヴを作るときにズレた分を12等分して各音程に割り振っている)。
等分しているおかげで、どんな調にしても綺麗に響くのだが、ハーモニーにしたときにこのズレが不調和なうねりとなって響いてしまう。うねりを取り除いてチューニングする方法を純正律と呼ぶ。
ピアノの調律は、基本的に平均律で行われる。弦長が決まっているため、なかなか他の調律法に切り替えることは難しいし、もし純正律で調律した場合、基準調から外れると逆に妙な響きになってしまう。

ってなわけで、〈平均律〉で調律されたピアノでは、ハーモニーが〈ぐにゃっと〉している、というわけだ。

これは何度も出てくる「ズレの暗喩」のひとつ。

そして、1番の〈地軸〉が〈しゃきっと〉しているのと対句をなす。

 

◆2:50~ 間奏②

1-2番の間奏ではそれほど目立っていなかったシロホンの音色が、ここでは前面に押し出されて、トレモロなどの鍵盤打楽器らしい奏法を見せつつ展開する。

後半ではブラスセクションのような音色も聞こえ、ちょっと意外な感じ。

くるくる転調を経て、D(B')メロへ辿り着く。

 

◆3:10~ D(B')〈誰かが言った言葉は〉

役割はBメロだが、メロディにマイナーチェンジがある。そして2半音下に転調している。たった2半音、されど2半音。1Bや2Bよりも彩度が落ち、切なさが増しているように聞こえる

 

〈転がってゆく〉の〈〉、アウフタクトで入るこの音は強烈だ。ベースとメロで実音を鳴らしているが、一番目立つカウンターは実音ミ♭。いわゆるトライトーン(三全音)で強い不協和音だ。

きっとこれも柏森さんの仕掛けたギミックだと私は確信してやまない。このDメロは、後半はBメロと全く同じ音型。しかし、Bでの和声進行は【ⅣM7|/|Ⅲm7|/ ♭Ⅲm7|Ⅱm7】という平行移動だったのが、Dではベースが一回Ⅵに上がっているおかげで、平行移動にはならなくなっている。結果、ベースのⅢとカウンターの♭ⅶがぶつかるわけだが、回避する方法はある。もう一回Ⅲm7を鳴らすか、Bメロ同様に♭Ⅲm7に飛べばいい。だがそうしなかった。それは、「ズレ」を音程上でも再現したかったからではないだろうか?

 

〈誰かが言った言葉は 風に乗せたとたんに いくつかの意味はもう失って〉。

そうなのだ。言葉にすれば正しく伝わるなんて、そんな簡単なものではない。ニュアンスは人と人との間を浮かんでいる間に、ポロポロ零れ落ちる。

 

◆3:35~ 落ち〈ほにほに 羽根の 整わない〉

ここは、柏森さんが故意に伴奏の音色を1つに絞って、詞を聴かせている部分だ。ぜひ歌詞を味わってほしい。

〈羽根の 整わない〉〈折り紙〉、〈ひとつだけ色の違うボタン〉はいずれも、〈ズレたまま〉の世界を示している。

それを〈大人になったときに ズレた世界も愛しく思うよ〉と歌うのだ。ついに、ついに直接的に「ズレを愛する」と歌われる。こんなに感動的なことがありますか。

 

◆3:58~ 大サビ〈るらら ほにほに〉

全音上へ戻って、元のト長調へ帰ってくる。こうして聞き返すととても明るい調だ。

後半は全く新しい歌詞が登場する。

〈言葉の色が風に消えるのを 確かめるように 素直に ズレた世界で今日もおはよう〉。

私は言葉の力を信じてやまないが、言葉の脆さと儚さも同時に理解している。その事実を、〈言葉の色が風に消える〉と言い表す。そして、それを〈確かめる〉ことは〈素直〉な営みなんだ、と。こんなにも美しい表現を私は知らない。

 

※ちなみに〈素直に〉とあるが、『ぽてまよ』の主人公である、ぽてまよの飼い主の名こそ、森山素直くんという。これはさすがに偶然の符合ではないだろう。

 


 

私たちは、多かれ少なかれ、何者かとコミュニケーションを取りながら生きている。

そこにズレや食い違いは必ず生まれてしまう。

苦しくなったら、この歌を思い出してほしいと思う。

 

誰もが、片道切符のボールを投げているのだ。

優しく拾って投げ返そう。

きっと、相手も拾ってくれるから。